第29回日本ミステリー文学大賞新人賞
最終選考候補作
予選委員7氏=円堂都司昭、佳多山大地、杉江松恋、千街晶之、西上心太、細谷正充、吉田伸子+光文社文芸編集部が10点満点で採点、討議のうえ予選を通過し最終選考に残る作品を決定(候補者50音順)。
- 「幻影」
- 千酌ジョウ
- 「ウェットランド」
- 服部 倫
- 「銀眼の聖女」
- 三沢 洸
- 「リノベーション・デッドライン」
- 我 双又
応募総数191編から1次予選を通過した21作品は下記のとおりですが、その後1作品に失格要因があることが判明したため、最終的に20作品での選考となりました(応募到着順。同一応募者の作品はまとめました)。
- 「ヴィーナスの見知らぬ横顔」
- 野林賢太郎
- 「犬畜生の義」
- 伊藤水流
- 「未生の殺意」
- 松原 彗
- 「おそらく今は、虚像の」
- 谷門展法
- 「ウェットランド」
- 服部 倫
- 「レプンカムイの子弟たち」
- 雲井登一
- 「リノベーション・デッドライン」
- 我 双又
- 「業務代行依頼」
- 葛西京介
- 「モーツァルト殺人事件」
- 相羽廻緒
- 「幻のゴラッソ」
- 相羽廻緒
- 「未完の『*』を求めて」
- 相羽廻緒
- 「永遠の未完成」
- 山本純嗣
- 「夢幻の絡繰」
- 山本純嗣
- 「げんげ田を歩いていた」
- 駒井俊雄
- 「二つのR」
- 月寒暖陽
- 「キンドレッド・ラプソディ」
- 四方 響
- 「幻影」
- 千酌ジョウ
- 「銀眼の聖女」
- 三沢 洸
- 「盤上の迷宮」
- 中島礼心
- 「ラストランナー」
- N
- 「雛の棺」
- 高円寺くらむ
【予選委員からの候補作選考コメント】
円堂都司昭
たとえ書いている本人に悪気がなくても、結果的に差別的な内容になっていると思われる例が、しばしばみられます。国家、民族、性的指向、身体や精神の障がいなどに関し、昔の感覚のままで書いていると、更新された現在の価値観にふさわしくない表現になることがあるのです。作中での男女それぞれの位置づけや、関係のあり方についても、同様のことがいえるでしょう。
ミステリー小説は、犯罪をあつかうことが多いですから、それをなにかの属性を持つ人と安易に結びつけると、すぐに差別的な印象を与えてしまいます。トリックのネタや犯人の動機づけとして、無造作に属性を使うのもよくありません。価値観が昔のままの書き方だと、せっかく面白いはずのストーリーでも、古くさい小説のような読後感を与えて損です。この設定、このキャラクター、この表現は、今の時代の小説として正しいのか、受け入れられるのかと、自問する必要があるでしょう。
佳多山大地
予選委員の任も今年で7度目になります。今回ここで指摘するのは、当初から気になっていたことのひとつ。それは、ミステリーの登場人物を作者の〝ご都合〟で動かしている作品が少なくない、という問題点です。
小説の登場人物には、基本、常識的に動いてもらいたい。降りかかる困難や思いがけぬ誘惑をまえに、どのような行動を彼、彼女はとるのか? ことにミステリーの場合、作者の(それはたいてい作中の犯人の)都合のいいように被害者や目撃者が不自然に動きすぎてはいけない。常識的な人間にちがいない大多数の読者は、それにより作品世界に入り込めなくなってしまいます。
――ところで。まったく常識外れのおかしな人物は、おかしな人物なりの論理に従って、むしろ常人よりも論理的に行動する。と、これはミステリーの世界における一種の神話といえますが、サプライズの利き目となるそういう人物は1作品にせいぜい1人であるからこそ利き目となるのだと思います。
杉江松恋
応募作全般に言えることなのですが、着想を小説の形にしたことで満足してしまい、その先に進めなくなっている書き手が多いと感じました。小説の独自性が最後に明かされる真相部分にしかない。そうなると結末に早く辿り着こうとして一本調子になるか、途中の展開に困ったらキャラクターやイベントを増やして切り抜けるかのどちらかで、前者は骨と皮ばかり、後者は贅肉のつけ過ぎでいただけません。ミステリーの種明かしは魅力の一つにすぎず、どのような物語のうねりがあるか、それはどういう種類の素材で組み立てられるか、という、中途の展開が本当は読ませどころなのです。物語を支える柱を三本は準備し、それらがどう補完し合うかを考えながらストーリーを構想してみてはいかがでしょうか。
文章も必要条件だということも忘れずに。今回、文体を評価した作品には、それだけで少し加点しました。最後は音読してみるといいと思います。あなたの文章に魅力はありますか。
千街晶之
今回の応募作に目を通して感じたのは、「犯人の行動のひとつひとつにもっと必然性を持たせてほしい」ということだった。犯行計画にさほどメリットがあるわけでもないのに、わざわざ派手な行動に走る犯人が登場する作品が目立った。その行動によって読者を引き込む効果はあるが、冷静に考えてみると、「どうして犯人はそんなことをしなければならなかったのか」という必然性が弱いのだ。ただでさえ犯人というのはやらなければならないことが多い立場なので、無駄な労力は費やしたくない筈である。
もうひとつ、少数民族などの社会的マイノリティの扱い方に雑さが感じられる作品も目立ったことを言及しておく。これは読者によって感じ方はさまざまだとは思うのだが、とはいえ予選委員の大半が問題があると感じてしまうような扱い方の場合、やはり商品として通用しにくいのではないだろうか。
西上心太
1次予選を通過した20作品から、最終選考に上げる4作品に絞る2次選考会の過程で気づいたことを縷々述べさせていただきます。
7人の予選委員の投票で、高低に突出した数作を除けば、八割方の作品の得点はなだらかな線を描いていました。それぞれ見るべき長所があったといえるでしょう。しかし評価の低い作品ほど御都合主義が目立ったことも事実です。
さらに性的嗜好、精神疾患、あるいは民族問題など、デリケートな問題を安易に取り入れた結果、「無神経」と捉えられかねない作品も散見されました。いまの時代にそぐわない社会通念によって構築された物語は、どんなに面白かろうが、それだけで忌避感を抱かれてしまいます。たとえばセクハラめいた描写でも、それが登場人物の性格を描くためにあるのなら問題ありませんが、そこから作者の無自覚さが透けて見えてしまう場合も多々あります。地の文における呼称でも、ついつい男性はファミリーネームで、女性をファーストネームで記しがちではないでしょうか。
あらゆる社会通念に敏感であり、自身が持つ「常識」を常にアップデートすることを忘れてはならないでしょう。選考する側の自戒も込めてしたためておきたいと思います。
細谷正充
本賞の応募枚数は、400字詰め原稿用紙換算で、350枚から600枚です。しかし600枚近い作品が多いですね。それだけの分量が必要な内容ならいいのですが、ストーリーが中弛みになっている作品が幾つか見られました。枚数の多寡で評価が決まることはありません。自分が書いている物語の求める分量を把握してほしいものです。
その他、昔からよくあるトリックを、安直に使用した作品も幾つかありました。使うなとは言いません。でも、今の時代の読者が感心するような工夫が必要です。このトリックの組み合わせは見たことがない、こういう使い方は初めてのようだ。そう思わせてくれる作品は、評価が高くなります。
また物語の内容が、特定の民族や人々に対する誤解を生むような書き方は、絶対にやらないようにしてください。題材として扱うならば、真摯に向き合ってください。社会のさまざまな認識は、どんどん変わっています。そのことをきちんと理解してほしいのです。
吉田伸子
今回、最初の得点で1位だった作品はすんなり最終候補に決まったのですが、残り3作をどの作品にするのか、予選委員の間で長時間の話し合いとなりました。今回は(最終候補にあげるのは)途中、3作でもやむなし、という意見も出ましたが、なんとか4作候補にあげることができてよかったです。
今回の2次選考で目についたのが、他の新人賞に応募した作品を「改稿」した作品です。以前の選評でも書きましたが、「改稿」というのはなかなかの大手術です。たとえば、犯人を変える、犯人の動機を変える、トリックを変える、くらいのものでなければ、「改稿」にはならないと思っていたほうが良いかと思います。そして、それほどの大手術をするのなら、新たに新作を、と思うのです。改稿してまで再応募するほどの思い入れがある作品かもしれませんし、気持ちを切り替えて新作に取り組むことは簡単なことではないかもしれませんが、大事なことではないでしょうか。