一般財団法人光文文化財団

第24回日本ミステリー文学大賞新人賞選評

茜 灯里

受賞作:
『オリンピックに駿馬しゅんめ狂騒くるう』
受賞者:
茜 灯里(あかね あかり)
受賞者略歴:
1971年3月27日東京都調布市生まれ。東京大学理学部地球惑星物理学科、同農学部獣医学専攻卒業。東京大学大学院理学系研究科博士課程修了。博士(理学)、獣医師。全国紙記者、国際馬術連盟登録獣医師などを経て、現在、大学教員。滋賀県大津市在住。
選考委員:
有栖川有栖、恩田 陸、篠田節子、朱川湊人
選考経過:
応募138編から、2次にわたる選考を経て、最終候補4編に絞り受賞作を決定。

受賞の言葉

新人賞

茜 灯里(あかね あかり)

 栄えある「日本ミステリー文学大賞新人賞」の受賞を果たし、身が引き締まる思いをしています。
 プロ作家としてスタートを切るにあたり、私は三つの目標を立てました。
 第一は“「作家買い」される作者になる”です。現実の世界で頑張ったご褒美に、苦しい時の気晴らしに、「茜灯里の作品ならば、きっと満足できる」と手に取られるような作家になりたい。読み終えて「この作家が創作した世界で遊んでよかった」と微笑んでいただける作品を書きたいです。
 第二は“「端正」を個性とする”です。謎解きのロジックや主人公の生き方など、作品のどこかに、読者が「きりりと美しい」と感じる部分を持たせたいです。
 第三は“多作で30年間、書き続けたい”です。選考委員の先生方は、まさにお手本です。もちろん、量だけではなく、内容の素晴らしさで諸先生に近づけるように精進いたします。
 30年後のSNSで、この受賞の言葉が話題になっていますように。皆様が証人です。

選考委員【選評】(50音順)

有栖川有栖

 接戦を制して「オリンピックに駿馬は狂騒う」が受賞作に決まった。パンデミックのため二〇二四年のパリ五輪ができなくなり、再び東京で開催されることになるが、日本では未知の馬インフルエンザが広がりだす―という〈大胆な嘘〉が勝因だ。その嘘を起点に、作者は専門知識を駆使して物語を走らせる。コロナ禍の初期にこれを構想し、発表される頃はどんな状況になっているか判らないというリスクを背負って書き上げた姿勢はチャレンジング。視点をヒロインに固定せず、場面ごとに〈最も面白い視点〉を選んだ方がよかったのでは、と思うし、キャラクターの描き方にもあとひと工夫欲しいところだが、他の候補作より頭ひとつ抜き出ていた。
 フリーランスの監察医が陥った恐ろしいジレンマを描いた「ME」は、売り物にすべき鑑定シーンにアイディアが盛られていない。そこに期待したのに、残念だ。登場人物の行動と心理にも納得しかねた。
 映画制作に見せかけて企業舎弟のお宝を詐取しようとする「贖罪の羊、虎を喰む」は、読ませる力のある作品なのだが、コンゲームとしては粗くて、タイに舞台を移してからは「誰が誰を裏切っても驚かない。騙し合いが続くんでしょ」と興味が薄らいだ。詐欺師となった元女優の知名度がさっぱり判らない。
「破綻譜セレナーデ」の作者は前回も最終候補に残っている。今年の作品の方がまとまりがよい。が、世界的アイドルの少女なら色んな形で影響力を行使できそうなのに、こんな行為に及ぶか、あんな理由で少年たちがやりもしなかったいじめを告白するか等、随所で無理を感じた。捜査や推理がなくても物語が進むと秘密が明らかになり、小説として何が書きたいのかが伝わってこない。
 四作とも(本格ミステリのワトソン役でもないのに)全編視点が一人に固定されていた。作者は主人公に手持ちカメラを渡さず、最も面白い角度からカメラを向けてもらいたい。

恩田 陸

 今回の四作品、どれもそれなりに読み応えがあったものの一長一短あり、全体的にそれほど差はなかったように思う。
「オリンピックに駿馬は狂騒う」。二〇二一年、二〇二四年(パリで開けなかった)と、東京で連続でオリンピックが開かれ、二〇二一年には馬術競技の馬が熱中症で死んでいるため、ナーバスになっている、という設定はタイムリーでうまい。馬インフルエンザが人を介して他の動物にも広がるというシミュレーションも面白い。しかし、登場人物があまりに多くて一本調子な上、最後は駆け足になってしまう。せっかくの騎乗シーンも見せ場になっていないし、台詞で説明しすぎで、小説としては惜しいところが多かった。
「ME」。フリーの監察医という設定は面白く、再鑑定を巡って由香里の提案が二転三転するところや、菜々子の言動の不可解さなど、その辺りの展開には引っ張られたものの、アメリカ帰りで英語混じりの発言で注目されるとか、イケイケのTVプロデューサーとか、そういう描写にはちょっと引いてしまった。いちばん気になったのは、由香里自身もバレリーナで、バレエの才能のある次女を目に掛けていたという設定。バレエは毎日稽古のたびにそれなりに露出のあるレオタードに着替えるのに、母親が娘の身体に残るような傷(しかも多数)に気付かないなんて有り得ないと思う。
「贖罪の羊、虎を喰む」。ダイヤを国外に持ち出す方法とか、ところどころ面白いアイデアはあるのに、とにかくすべての登場人物が類型的で古臭い。虎岩とか、龍沢とか、いかにもヤクザな名前を付けるのも安易すぎる。こういうコン・ゲームものが成立するには、登場人物それぞれに「可愛げ」が必要だし、したたかな語り口でなければいけない。そのあたり、小説としての魅力に欠けた。
「破綻譜セレナーデ」。前半の子供の頃のパートは読みやすく引き込まれた。母親の毒親っぷりも怖い。しかし、「将来あなたの大事な人を奪うから、復讐されたくなかったらイジメはやめてね」という理屈が分からないし、そのため真奈加が腕を切断して自殺する、というのも分からない。皆、「痛みを忘れないため、決意を表明するため」指を詰めたり、やたらと自傷するのもつらい。イジメにあい、痛みを知っているからこそ、身体は大事にしてほしいと考えないのだろうか。

篠田節子

 受賞作がいきなり本になるのはすばらしいことだが、選考の段階で作家としての可能性だけでなく、作品の完成度も見なければならないのが辛い。
「オリンピックに駿馬は狂騒う」はそうした意味で悩ましい小説だ。馬の感染症の蔓延、その経済的打撃、人獣共通感染症の人の命に対する脅威。謎解きをしながら解決に奔走する獣医の前に立ちはだかる組織や利害関係の壁。今日的なテーマとぞくぞくするようなストーリー展開。欧米の感染症エンタテインメント小説と堂々勝負できる内容に比して、素人とはいえ小説技法の拙さが目立つ。だが技法はトレーニングでいくらでも磨ける。古今東西の良い作品をたくさん読んで、たくさん書いて、必ずや大成してくれる方と信じる。頑張れ!
「贖罪の羊、虎を喰む」は、いざとなればアクションで一件落着ではなく、基本は頭脳戦と心理戦で、犯罪の手口を丁寧に書いて読ませる。だれが敵か味方かの疑心暗鬼、好嫌の感情が交錯する緊迫感も良い。
 だが最初から幹部殺害を請け負っていたはずのヤクザが、こんな回りくどい作戦を立てる必要性があるのか? あくまでカタギの主人公のお宝強奪と命がけの逃走劇を読ませて欲しかった。が、この方は必ずどこかでデビューするという気がする。
「破綻譜セレナーデ」は、周囲のものが語り手の目にどのように映るかを描写して、読者に本質を感じ取らせるところに小説家的なセンスを感じる。特に母親葉子のサイコパス描写が秀逸だ。しかし意外性を演出するために無理矢理な展開が多い。(嘘のいじめの告白やラストの惨劇など)普通の青春犯罪小説で十分良い作品になりそうで、作者の資質もそこにあるのではないかと思う。
「ME」は監察医としての謎解き、という発想が目新しく、主人公が素人探偵をしたり、弁護士の真似をしたりせず、職域の範囲内で活躍するところが面白い。せっかくならその部分を精緻に濃密に書き、より正確な判断で司法に切り込んでいけば、既存作品との差別化がはかれたはずだ。
 かつての恋人の冤罪を証明しようとして、実の娘による殺人の可能性を探り出してしまう二律背反の緊迫感が、話が進むにつれて緩むのが残念だ。母娘の関係、家族、血縁の絆への作者のタブー感覚が、本質に鋭く切り込むことを躊躇させているように見える。恐れることなく存分に書かれたらどうだろうか。

朱川湊人

 最終候補に残った作品が送られてくると、私はタイトルと添付された梗概、さらに初めの数ページに目を通して読む順番を決めます。今回の受賞作である茜灯里氏の「オリンピックに駿馬は狂騒う」は、あいにくながら読むのを最後に回した作品でした。これは私が理系分野になじみが薄いせいですが、書き出し数ページに人物や解説が多すぎ、それを腑に落とすのに時間がかかったためでもあるでしょう。
 けれど一度入り込むと、映画「シン・ゴジラ」を思わせるような〝人間対ウィルス〟の対決に魅了されました。描写の過不足があるものの、読み手が望むシーンの大半が書かれているのも高ポイントです。また、東京オリンピックが二度続けて行われるという風呂敷の大きさにも、私は好感を持ちました。ある意味、令和の現在だからこそ、迫力をもつ作品であるといえます。
 受賞、おめでとうございます。おそらく創作の地肩はある方だと思われますので、これを機に一層、楽しい作品を生み出してください。
 山本純嗣氏の「贖罪の羊、虎を喰む」は、四十億ものダイヤを奪うスリリングな作品ですが、計画の緻密さには敬服したものの、現金化については場当たり的で大雑把だったのが悔やまれます。また、〝映画の撮影と称して、人を集める〟という手段が何度も使われているのも、私には興ざめでした。
「破綻譜セレナーデ」の麻加朋氏は、昨年に続いて二度目の選考です。以前にも増して熱を感じる作品ですが、今回は作劇に難があったように思います。ある重要人物がライブを世界中継されるほどのシンガーになった点について説明や描写が少なすぎて、私はストーリーに乗り切れませんでした。提示される暗号音符も、あまり生きていないようです。
 椎名勇一郎氏の「ME」は、主人公の監察医としての優秀さが伝わってきませんでした。事件の真相は優しさに満ちたものでしたが、そこにたどり着くための道筋に無理があって、飛距離が伸びなかったようです。

候補作

 予選委員7氏=円堂都司昭、佳多山大地、杉江松恋、千街晶之、西上心太、細谷正充、吉田伸子+光文社文芸局が10点満点で採点、討議のうえ決定(候補者50音順)。

「オリンピックに駿馬は狂騒う」
茜 灯里
「破綻譜セレナーデ」
麻加 朋
「ME」
椎名 勇一郎
「贖罪の羊、虎を喰む」
山本 純嗣

応募総数138編から、1次予選を通過した20作品は下記のとおりです(応募到着順)。

「殺意の灯」
倉元 良輔
「ア・ノン」
トキ・ヒロヒコ ニシヤマ
「献身じゃない」
近藤 辰巳
「鏡に真実は映らない」
黒依 ハル
「オリンピックに駿馬は狂騒う」
茜 灯里
「奪取」
西村 晃
「サイレントキラー」
早川 真彦
「ME」
椎名 勇一郎
「贖罪の羊、虎を喰む」
山本 純嗣
「ヘヴンK」
斎堂 琴湖
「善良なる獣の君と」
佐波 サバ
「正義の生贄」
及川 剣治
「傾社と没落」
広原 遼一
「獅子は甦る」
吉原 啓二
「未知の、未開の、幕が」
谷門 展法
「イディオットゲーム」
栁沼 庸介
「欲望の暗数 ~春の空は淡く霞んで~」
香坂 光洋
「アンビションサポーターズ」
折坂 則人
「破綻譜セレナーデ」
麻加 朋
「スノードロップの子供たち」
黒澤 主計

【予選委員からの候補作選考コメント】

円堂都司昭

 応募要項に則って投稿してください。小説家を仕事にしようとしているわけです。「二重投稿は失格」、「他社新人賞への主な応募歴を明記のこと」とあるのに守らない人を、出版社が仕事相手として信じられるでしょうか。
 また、原稿は読み直し、推敲してから発送してください。誰にも間違いはあります。とはいえ、ただの誤記だけでなく、途中で登場人物同士の名前をとり違えている例が意外に多い。誰が犯人かが主題となるミステリーで、そんな間違いはあまりにもまぎらわしい。
 印刷に際しては書式が崩れていないか、確認しましょう。読みにくい文字列を送るのは、選考する側への嫌がらせのようなものです。
 内容に関しては、政治家や暴力団など力のあるもの、あるいは夢や幻覚、超常現象を、作者が都合よく使いすぎているものが散見されました。偶然の多用もしらけます。安易な手段に頼らず、困難を乗り越えるための工夫をすることで小説の緊張感は生まれるのです。

佳多山大地

 前年(第23回)から新たに予選委員の任に当たることになりました。2年目の今回は、予想だにせぬコロナ禍の影響により、最終候補作を決める予選会がリモート開催に。私、大阪在住の佳多山は、諸般の事情から書面参加の形をとらせてもらいました。――その結果、本選委員のもとに送られる候補4作について言及するのは避けるとして、残念ながら1次通過止まりで終わった応募作のなかでは、現代ミャンマーの“真の独立”を主題にした『獅子は甦る』に大いに魅力を感じました。ぜひ新作を引っ提げて捲土重来を。
 さてその『獅子は甦る』にも言えることですが、この2年、予選委員を務めてみて気になるのは、いわゆる参考文献を最後に示していない応募者が多いこと。特に歴史・時代ミステリーを投じる際は、必ず記してほしいのです。どういう本や雑誌記事等を参考にしたかは、事実ベースの信頼性と作者オリジナルの発想を評価するのに関わってきますから。

杉江松恋

 応募作全般に共通することとして、練り込みの不足を感じました。思い付きをそのまま書くとだいたい、短篇を引き延ばしたような作品になります。エピソードをただつなげただけの、乾電池で言えば直列接続みたいな小説。登場人物がごちゃついていたり、要らないアクションや濡れ場が変に多かったりする話も、たぶん手軽に書きすぎなのでしょうね。取材したことを取捨選択せずに全部書いちゃってる作品も。よほどの文章家を除き、長篇小説には構成に関する技巧が必要です。だいたいの応募作は途中が退屈。中だるみさせない工夫が大事です。また、キャラクターの造形にももう少しご配慮を。ごてごてと装飾だけ多くしても「キャラ立ち」はしません。
 自分なりの技法を探してください。そのために重要なのはたくさん書き、十分に推敲して粗を探すこと。その意味でも過去作の再投稿や、同一作品の二重投稿は厳禁です。常に新しい作品を。次回も期待しております。

千街晶之

 二重投稿や過去の応募作の使い回しは減ったが、今回の一次選考を通過した作品を読むと、過去に応募した作品をリライトした原稿は増えたという印象を受ける。
 もちろん、それ自体は悪いことではないけれども、他の賞で落ちた原稿を少々手直しした程度では、やはり最終選考まで残ることは難しい。今回、最終に残った原稿にも別の賞の応募作のリライトはあるが、それは結末が一変するほどの大胆な改稿によって優れた作品に生まれ変わったからである。それくらいの思いきりもなく、少々の手直しで事足れりと考えるよりは、新作にチャレンジしたほうがいい結果が出る可能性は高いと思う。
 あと、設定の無理にせよトリックの穴にせよ、読んですぐわかるレヴェルのミスは応募前に気づいて修正してほしい。最終に残った四作品も完全無欠というわけではないが、ミスが比較的小さかった(あるいは、それを相殺する美点があった)からこそ勝ち残れたのである。

西上心太

 それぞれの着想を形にし、最終的に「小説」として完成させた労を、まずは称えたいと思います。どんなに良いアイデアがあろうとも、完成させなければ話になりません。応募原稿に仕上げただけで、皆さんはあるレベルをすでに超えているのです。
 しかしなぜ一次で落ちたのか、二次から先に進めなかったのか。読みやすいような印刷設定でしたか。誤字・誤変換のチェックは。印字して読み直せば、単純な表記ミス、同じ言葉のくり返し、意味の伝わりにくい文章などは訂正できたはずです。
 さらに、登場人物の行動や考え方が、プロットの都合で不自然になっていなかったでしょうか。小説ではなく「説明」に墮していなかったでしょうか。このあたりのことを考えるだけでも、作品の完成度は高まったかもしれません。
 皆さんにとって愛着ある作品でしょうが、ひとまずそれは忘れて、次回はまったく新しい作品で挑戦してくれることを期待しております。

細谷正充

 繰り返し訴えた甲斐があったようで、二重投稿は激減しました。しかし、その代わりのようにリライト作品の投稿が増加しています。もちろん、一度投稿して落選した作品を、改稿して再投稿するのは規約違反ではありません。ですが、小手先のリライトで満足されては困ります。作品をリライトするときは、抜本からの改良が必要でしょう。
 そもそも本賞に作品を投稿する人は、プロの作家になりたいはずです。プロになったら、新たな作品を次々に生み出さなければならないことは、いうまでもありません。それを考えれば、ひとつの作品にこだわり続けるのは、いかがなものでしょう。ひとつの作品に拘泥することなく、新たな物語に挑んでほしいのです。なぜなら本賞は、常に新たな才能を求めているのですから。
 なお、今回も規定枚数の上限ギリギリまで書いたことで、ストーリーの間延びした作品が見受けられました。自分の創り出した物語世界の分量を理解することも、プロになるための大切な資質です。

吉田伸子

 今回の応募作は、「改稿作品」が多く見られました。「改稿作品」は厳密にはNGではありませんが、確実に作品に対する印象を悪くします。理由は二つあります。一つは、作者が過去作にこだわっている=気持ちが前(新作)に向いていない、というふうにとられてしまうということ。過去作をブラッシュアップするよりも、まっさらな新作のほうに気持ちを向けて欲しいのです。もう一つは、以前も書いたかもしれませんが、「改稿」というのは、書き手が思っている以上に難しいものである、ということ。大袈裟に言えば、犯人を変えた、くらいでないと「改稿」とはなりません。書き手自身が、こんなに書き直した、と思っても、他者の目には、「どこが?」と映ることのほうが多いのです。この賞は新人賞です。求められているのは、「新しい作品」なのです。古い作品のリメイク、ではなく。応募者の方には、そのことを頭においていただければ、と思います。

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