一般財団法人光文文化財団

第24回日本ミステリー文学大賞講評

黒川博行

受賞者:
黒川博行(くろかわ ひろゆき)
受賞者略歴:
1949年3月4日愛媛県今治市生まれ。京都市立芸術大学卒業。会社勤めの後、高校の美術教師に。第1回サントリーミステリー大賞で佳作となった『二度のお別れ』が1984年刊行されデビュー。同賞第4回で『キャッツアイころがった』(1986)が大賞受賞。翌年作家専業となる。軽妙な大阪弁と緻密な取材に裏打ちされた独自の世界で「大阪府警」シリーズ、「疫病神」シリーズなどが人気に。1996年、『カウント・プラン』で第49回日本推理作家協会賞受賞と同時に、初の直木賞候補に。以後、『疫病神』(1997)『文福茶釜』(1999)『国境』(2001)『悪果』(2007)が候補となり、2014年『破門』で第151回直木賞を受賞。
選考委員:
赤川次郎、逢坂剛、佐々木 譲、東野圭吾
選考経過:
作家、評論家、マスコミ関係へのアンケート等を参考に候補者を決定。

受賞の言葉

大賞

黒川博行

 ふだん見知らぬ番号からの電話はとらないのだが、たまたま受話器のすぐそばにいたから、とった。びっくりした。日本ミステリー文学大賞の受賞だった。うれしい。めっちゃ、うれしい。このごろは麻雀の点棒しかもらうことがないから(とられることのほうが多いけど)、なおさらうれしかった。
 思えば、ミステリーを書きはじめてからほぼ四十年になる。作家を専業にしてからだと三十六年か。そのあいだに出してもらった本は四十冊くらいだろう。年に一作のペースでこの齢まで稼業をつづけてこられたのは強運としかいいようがない。八〇年代の半ば、世の中がバブルにさしかかるころにデビューしたのがよかったのかもしれない。はじめの六、七年はトリックのある社会派ミステリーを書いていたが、そのトリックが枯渇し、いつのまにかハードボイルド、ノワール、コンゲームふうの小説に移行した。
 いただいた注文をこなしつつ、ほろほろ歩いてきたら、考えてもいなかった大きな賞をいただいた。
 ありがとうございます。感謝にたえません。

選考委員【講評】(50音順)

赤川次郎

 同世代の黒川さんの受賞を心から喜びたい。
 選考会でも、
「大阪弁にこだわる姿勢」
 を評価する声が多かったが、私にとって、黒川さんは「こだわりの作家」というイメージが強い。
 サントリーミステリー大賞に二度の佳作を経て大賞を獲得したスタート時から、一旦狙いを定めたら諦めないという、しぶとい粘りを発揮していた。その後の幅広い作風の展開は、めざましいものがある。
 エンタテインメントであっても緻密な取材を欠かさないのは、やはり「こだわり」の人である証拠だろう。
 もちろん、まだまだ盛りの筆の勢いで、今後も長く活躍される方である。次にどんな「こだわり」を発揮されるか、楽しみに待ちたい。

逢坂 剛

 黒川さんは、決して遅咲きの作家ではないが、その人気と実力に比べて、なかなか賞に恵まれなかった、という印象が強い。直木賞受賞も、六十半ばになってからだった。大阪を舞台に、こてこての大阪弁で展開される、たとえば疫病神シリーズなどは、無邪気な一般の読者には灰汁が強すぎて、消化できなかったのかもしれない。そのため、阪神タイガースのように関西という枠を越えて、全国区の存在になるまでに時間がかかった、という次第だろう。
 日本ミステリー文学大賞を受賞すると、ミステリー界で功成り名を遂げたようにみられるが、それは昔の話(?)である。わたしも、本賞を受賞したのは古希を過ぎてからだが、まだがんばっている。一緒にじじいパワーを、世に示してやらねばならない。将棋がたきの黒川さん、ともかくおめでとう。今度は盤上で、雌雄を決しようではないか!?

佐々木 譲

 今年の日本ミステリー文学大賞は、黒川博行さんへ贈呈することが決まった。
 黒川さんの作品群は、主に関西を舞台にしているし、なんとも「関西的な」と思えるキャラクターによる関西弁のやりとりが魅力だ。
 北海道生まれのわたしには、ほとんど異文化文学に近い興趣がある。もっと言えば、わたしにとって黒川さんは、そのテーマも含めてバルザックと同じ地平にいる作家だ。
 同時にわたしは同業者として、黒川さんの作品の「裏の業界の」というか「業界の裏の」事情についての情報量に圧倒される。世の中にはこんななりわいがあり、このようなひとたちによってこんなスキルと文化が継承されているのだと知る楽しみがある。題材にされるのは、なかなか活字情報だけでは知り得ないだろうと想像がつくビジネスが多く、その業界に対する着眼と綿密な取材に敬服してしまうのだ。
 黒川さん、受賞おめでとうございます。

東野圭吾

 その名が候補者の中に入っていれば推さないわけにはいかない、という作家が私の場合、何人かいる。今回は候補者全員がそうだった。それでも迷わずに黒川さんの名を挙げたのは、その丁寧な仕事を若い頃は近くで、お互いがベテランになってからは遠くから見てきて、プロフェッショナルぶりに尊敬の念を抱き続けてきたからだ。
 関西を舞台にし、登場人物に関西弁をしゃべらせる―小説でこれをやって得をすることは殆どない。少なくとも本は売りにくくなる。拙著にも大阪を舞台にしたものはあるが、映像化される際、架空の土地に変えられることが多い。
 黒川さんは、そんなことは百も承知で関西を描き続ける。登場人物の会話は練りに練られており、「漫才のよう」なんていうレベルではない。遅筆なのは、推敲にかける時間が半端ではないからだ。あの創作姿勢を若い頃に見たことが、私の財産になっている。

TOPへ戻る