一般財団法人光文文化財団

第18回日本ミステリー文学大賞新人賞選評

直原冬明(じきはら ふゆあき)

受賞作:
『十二月八日の幻影』(「一二月八日の奇術師」改題)
受賞者:
直原冬明(じきはら ふゆあき)
受賞者略歴:
1965年岡山県生まれ。京都産業大学理学部卒業。プリンタ・メーカー営業、衆議院議員秘書を経て、アルバイトをしながら執筆活動を続けている。
選考委員:
あさのあつこ、笠井 潔、今野 敏、藤田宜永
選考経過:
応募173編から、2次にわたる選考を経て、最終候補4編に絞り受賞作を決定。
贈呈式:
2015年3月18日 帝国ホテル(東京・内幸町)

受賞の言葉

新人賞

直原冬明(じきはら ふゆあき)

 ギターを始めたひとを待っている最初の難関はFである。人差し指一本で三本もの弦を押さえなければならないFというコードが初心者の行く手を阻む。 多くの楽曲で一度は顔を出すこのコードが押さえられないと、演奏が完結しないのだ。
 ここで多くのひとがギターを投げ出す。
 しかし、続けていると、ある日、突然、音が出る。そして、レパートリーが増える。
 世の中の多くのことは、なだらかな上り坂ではなく、階段状ではないだろうか。ひとつ上の段へ行けたとき、視界が変わり、見えるものも変わってくる。
 今、私は受賞という大きな段を攻略できた。
 作家として歩んでいけば、この先、さらに高い段がいくつも待っているだろう。 何度、押し返されようと、そこへ挑み続けることが、今回、手を差し伸べてくださった予選委員、選考委員の皆様、 そして、選考にかかわってくださった方々への恩返しだと思っている。

選考委員【選評】(50音順)

あさのあつこ

 今回、最終候補作四編、それぞれに味があるというか、個性の片鱗が窺われて楽しませていただきました。 ただ、片鱗は片鱗に過ぎず、それが作品の大きな魅力とも、支える柱ともなりえていないところが、歯痒い。というのが偽らざる感想です。
 作者が自分の構築した世界の有り様を理解しないで、生み出した人物の魅力を掴めないままでどうするのかと言いたい思いも存分にありました。 それは、新人だからと見逃されるものではなく、むしろ、これから挑む者であるからこそ己の書くべき世界への真摯な追及、 人物への必死の肉薄がなくては、とうてい作品にはならないのだと胆に銘じてもらいたいのです。
 そういう意味で、わたしは今回「一二月八日の奇術師」を推そうと決めて選考会に臨みました。 この作品には、作者の時代と人間を見詰める確かな視があると感じたのです。 大戦前夜の軍部を舞台にしながらあくまで謎解きに終始したストーリーも大いにおもしろく、爽快でした。 ただ、人物像の絞り込みがまだまだあまく、個々の書き分けも不十分で、とてもスリリングな場面なのに読み手は一向にわくわくしない、 わくわくさせてくれないあたりが気になりました。とあれ、可能性を大いに含んだ作品です。 この素材をどう料理し直すか。楽しみでなりません。タイトルは一考を。
「ワルモン」も手慣れた書き方で読ませます。この作者は一つの世界を持っているのかもしれません。 それは、強みでしょう。でも、その世界が途中から、手前勝手に動きだし、読者をおいてけぼりにしている印象は否めません。 他者に伝わってこその作品です。書き手と作品との距離感をしっかり見定めてもらえたらと願うばかりです。  それは、「キャピタリスト」、「GMモンスター」にも言えることでした。 どちらも、素材としてはおもしろいのに人の描き方がいいかげんで、統一性がまったくなく、読みとおすのがなかなかに骨折りでした。
 自分の作品の魅力、本当に書きたいことがなんなのか、登場人物たちとじっくり会話することで、掴んでほしいと思います。

笠井 潔

 小説の文は描写、説明、会話で構成されるが、いずれの候補作も説明と会話に紙数を費やして描写が少なすぎる。 これでは骨と皮だけで、筋肉も脂肪もない人間のようなものだ。次回の応募者には、この点に留意していただければと思う。
 戸南浩平「ワルモン」。ピクニックに見立てた少女連続殺人がメインの謎で、 二人の男が巨額の報酬につられ、最新の誘拐被害者を救出しようとする。 元犯罪者による非合法的手段を駆使した捜査という設定は面白いが、実行されるのは住居不法侵入くらいで、これなら世のハードボイルド探偵と変わらない。 また事件解決にタイムリミットが設定されているのに、さほどサスペンス効果が上がらないのはなぜだろう。
 吉原啓二「GMモンスター」。中国の生物兵器にチベット独立運動を絡めた設定は今風だが、 他の植物を駆逐する巨大ヒマワリが秘密兵器だというのは、さほど説得的でない。主人公による犯人当ての推理は憶測の山で、ミステリ小説としては失格といわざるをえない。
 榊諒悟「キャピタリスト」。赤字続きの中小企業に経済ヤクザがからみ、社長の死亡事件が起きる。 意外な犯人には驚きもあるし、物理的トリックも説得的で伏線も生きている。 しかし酸水素を新エネルギーとして利用する技術の開発者が、パン職人だという設定は安直すぎる。 主人公と父の人格的すれ違いと和解のドラマが、この無理な設定を要請したのだろう。
 直原冬明「一二月八日の奇術師」は、真珠湾攻撃をめぐる諜報戦を描いた作品。 犯人の動機に託された社会批判の主題は今日的だが、斬新な動機に見あう人物造形が不充分で、戦前昭和の風俗や街並みなどの描写も念入りとはいえない。 戦前昭和を描いた作品はいまや歴史小説だが、事実誤認や不自然な設定も目についた。 とはいえミステリ的なプロットや探偵役のキャラクターは魅力的で、選考委員会での討議を踏まえ本作を授賞作とした。

今野 敏

 新人賞で最も大切なのは、応募者の才能を見極めることだと思っている。 小説家の才能というのは、うまく書けていることではなく、他の書き手にはない独自の魅力があるということだと思う。 それは、なかなか難しいのだが、要するに作者が何を語ろうとしているかがちゃんとと伝わってくるということだだろう。 それがはっきりとしていれば、多少傷があっても作品として説得力のあるものになるはずだ。
「キャピタリスト」の最大の欠点は、読者に隠し事が多すぎるということ。 ミステリーなのだから、当然謎は提示しなければならないが、隠し事が多すぎると、フェアではなくなる。 着想や材料はおもしろいのだが、まだ小説として出来上がっていない。父親の手紙ですべてがわかるというのも、謎解きとしては安易な気がする。
「ワルモン」は、不思議な魅力のある作品で、最後まで興味を持ちながら読ませてもらった。 だが、設定があまりに現実離れしており、読み終わってから、ふと我に返ると、「こんなのあり得ないよなあ」という感想が残る。 設定に懲りすぎるのも、時には欠点となるということを理解してほしい。
「GMモンスター」の最大の欠点は、登場人物がありきたりで魅力にとぼしいこと。 また、素材を整理して、物語としての焦点を絞るということができていない。料理をしていない生の素材を食べさせられたような印象が残った。 アクションシーンもとってつけたようで、リアリティーもなく、必要ないのでは、と思った。
「十二月八日の奇術師」は、登場人物が魅力的に描かれている。謀略・防諜小説として面白く読めた。 実際の歴史を背景としているので、一歩引いて読めば欠点もいろいろあるのだが、一歩引かせない筆力があり、物語に引き込まれた。 登場人物の行動に多少不自然さは感じるものの、私は、強く受賞作に推した。

藤田宜永

 特定の分野に精通している人が、それを材料にして小説を書く。榊さんの「キャピタリスト」はまさに、そういう作品だった。 流行りの言葉で言えば“お仕事小説”。この手の小説の場合は、作者の経験と知識を度外視して、言葉によるデッサン力を見る。 その点、力不足だった。警察小説を書いている作家に元警察官が何人いるだろうか? そのことを頭に入れておいてほしい。 ただ本作品が扱った金融の世界は、“文芸”に馴染みにくいが、宝が隠されていることは間違いない。
 吉原さんの「GMモンスター」にも“お仕事小説”のニオイがしたが、それは別にして、ミステリのいろいろな要素を盛り込みすぎていた。 車のブレーキの細工も拳銃も必要なかった。どんでん返しにこだわったせいだろう、犯人の意外性はあったが、いかんせん動機があまりにも弱すぎる。 化粧のうまさは多くの女性にとって大切なことだろうが、小説にも当てはまる。
「ワルモン」の作者、戸南さんは、この賞の常連で、これまで数本、読んできた。 彼の目指す方向は常に変わらず、少女の誘拐、監禁といった要素が必ずメインになっている。 それは作者の個性だから、他人が口をはさむ話ではないし、僕自身は面白く読んできた。 ユーモアも上手だし、登場人物のキャラも立っている。しかし、仕掛けが意表をつくもののわりには、犯人の動機、登場人物の人間関係は案外普通で、 その落差に戸惑わされてきた。今のところ“戸南ワールド”は膠着状態か。それを打破することを僕は願っている。
 受賞作は直原さんの「一二月八日の奇術師」。四作の中で一番点が高く、僕もこの作品を推した。戦時中の街の描写 、犯人やスパイの背景の折り込み不足などなど欠点はあるが、しっかりとした文章で書かれていて、うまい描写も散見でき、総合点で他作品を上回っていた。
 僕は今回で選考委員を退くが、六年間、この賞に携わってきた。振り返ってみると、落選した作品の中にも印象に残るものがあった。 今後もどしどし、この賞に応募してもらいたい。本賞をさらに大きくするのは、誰でもない投稿者なのだから。長い間、ありがとうございました。

候補作

予選委員各氏=円堂都司昭・香山二三郎・新保博久・千街晶之・細谷正充・山前譲・吉田伸子+光文社文芸局が10点満点で採点。 候補作は下記4作品です(タイトル50音順)。

「キャピタリスト」 
榊 諒悟
「GMモンスター」
吉原啓二
「一二月八日の奇術師」
直原冬明
「ワルモン」
戸南浩平

 応募総数173編のなかから、1次予選を通過した22作品は下記の通りです(応募到着順)。

「モレーンレイクの彼方へ」
藍沢かおる
「こんな日には君の焼いたクッキーを」
三月 行
「キャピタリスト」
榊 諒悟
「双子時計」
御子柴 翔
「コインシデンス」
中田早紀
「スタンド・アンド・ファイト」
村瀬 渉
「ロックド・イン」
岡 辰郎
「ワルモン」
戸南浩平
「もう一つのゆうぐれ」
古谷敏夫
「セカンドキャラクター」
近藤和実
「裏切りの報酬」
中津海 幸夫
「一二月八日の奇術師」
直原冬明
「楽園の残照」
小嶋貴裕
「ホルンのベルは斜め後ろを向いている」
保科貴範
「扉」
永井夢尾
「ミセス・マープルと割れた西瓜」
瀧本正和
「ぐるぐる」
くぼ りこ
「金困力」
耳 目
「日本のクレオパトラ」
三吉 不二夫
「執念い」
海道 比菜子
「フィッシュイーター」
佐鹿史郎
「GMモンスター」
吉原啓二

【予選委員からの候補作選考コメント】

円堂都司昭

 ベンチャーキャピタルを扱った「キャピタリスト」、泥棒たちが誘拐事件を追う「ワルモン」、スパイの活躍を描いた「十二月八日の奇術師」、 奇形植物が繁殖する「GMモンスター」。バラエティに富んだ四作が最終候補に残った。 いずれも、なにについて読ませたいのか、作者が自覚して書いた作品だ。ポイントの絞り込みは大切だし、それにどう肉付けしていくかである。
 最終候補以外の作品のなかでは「コインシデンス」が健闘していた。何度もひっくり返しがあり、 ミステリー小説としての意外性へのこだわりがみられた。次回作に期待したい。
 応募原稿全般にいえるのは、もう少し推敲と校正をしようということ。ただの誤字だけでなく、人物の名前の取り違えもみられる。 フェアな表現や伏線が重視されるミステリーで、作者自身が誤認していては洒落にならない。きちんと読み返して、自分の文章を確認しましょう。

香山二三郎

 今回は混戦状態で、落選作品にも個人的に推した作品が幾つかあった。 誉田哲也の姫川玲子シリーズを髣髴させる女性刑事もの『執念い』がその代表格。 潜入捜査官殺しを追うシリアスな捜査劇でヒロインを囲む男性刑事たちの個性も際立っていた。 後半グダグダな展開になってしまうのが惜しまれる。次回はきっちり推敲して完成度を高めてください。
 他にも、捜査現場で倒れた刑事がロックド・イン症候群に陥ったあげく、 その入院先で人質立てこもり事件が起きる『ロックド・イン』、 休暇中の海兵が関東大震災直後の東京で不審な男女を助けたことから国際的な黄金争奪戦に巻き込まれる『楽園の残照』、 大学のミステリー研究会のメンバー内に起きた事件の謎に落語家の妻殺しの顛末を描く作中作を絡ませた『ミセス・マープルと割れた西瓜』等が印象に残った。 最終候補とは僅差、次回は推敲をより徹底して臨まれたい。印刷原稿は字間を広く空けぬようくれぐれもご用心。

新保博久

 多くの先達が言うごとく、小説はどのように書いてもいい。しかし、こう書いてはいけないというのもあって、少なくとも一場面一視点の原則は守ってもらいたい。 「Aは内心を押し隠した。だがBはそれを察した」というふうに書いてはならないということだ。 ついでに、重要な役を演ずる記者の勤め先が毎朝新聞というのもやめたほうがいい。独自の小説世界を創る気があるのか疑ってしまう。
 困ったことに、今回の最終候補作にすら、これらが守れていないものがある。さりとて、ほかに強く推したい作品もあまりなかった。 なかでは、無駄にどんでん返しを重ねず、一発で逆転技を決めた「セカンドキャラクター」、 続いて何が起こるのかとページを繰る手に期待をもたせつづけた「双子時計」などに、特に心惹かれたものだ。

千街晶之

 今回は漢字変換のミスが目に余る原稿が数作あった。書き上げた後、一度でも推敲すればこの種のミスは減らせると思うのだが。
 候補となった四作品では、『一二月八日の奇術師』と『ワルモン』がずば抜けていたという印象。他はこの二作より弱いと感じた。 特に『GMモンスター』は主人公が後半いきなりハードボイルドなキャラに変貌するなど不自然な部分が多かった。
 落選作のうち、私が強く推したのは『金困力』。誘拐の常識をことごとく覆す逆説的ロジックや、 純粋に容疑者のデータだけから犯人を一人に絞り込む安楽椅子探偵的趣向が魅力的だったが、 まだ人質が戻っていないのにその父親が探偵役と延々話し込んでいる不自然さなど問題点も多い。 とはいえ、無難に上手だがミステリとして新味がない作品より、こういう斬新な作品こそ最終候補に残すべきだと主張したが、 他の予選委員に理解してもらえなかったのが残念である。

細谷正充

 昔に比べると、まったく小説になっていない応募作は、格段に減りました。全体のレベルは上がっています。 ただ、多くの作品は、小説になっているというだけで、面白くありません。 その理由を一言でいえば、小説とは何かということを、きちんと考えていないからでしょう。
 一例として、原稿の枚数を挙げます。本賞の応募規定枚数は、350枚から600枚です。 でも、600枚近く書いてくる人が、圧倒的に多いです。これは枚数が少ないよりも多い方が見栄えがいい、あるいは評価されると考えているからだと思われます。 大きな間違いです。小説の枚数とは、書くべき物語の内容から決定するもの。自分の作品の最適な長さはどれくらいか、しっかりと理解してもらいたいものです。 そして、こうした呻吟の積み重ねが、作品を磨いていくのです。物語を面白くするための努力に、限りはありません。 これから本賞に応募する人は、そのことを踏まえて、頑張ってください。

山前 譲

 最初に回ってきた応募原稿のなかに、中学生の方と80歳を過ぎた方の作品があり、年齢的にずいぶん幅広いことに驚かされた。 そして、トリック満載の前者も、社会性豊かな後者も、トータルな評価では最終候補のレベルではないけれど、その真摯な書きっぷりに清々しさを感じた。 というのも、30代から50代にかけての、もっとも生きのいいミステリーを書いてくれそうな年代の応募作に、雑なものが多かったせいである。
 誤字・脱字が多かったり、重要な登場人物の名前が不統一であったり、「はい」「うん」といった無意味な受け答えの会話だったりと、 読んでいて作品になかなか集中できなかったのだ。締切りは気になるだろうが、やはり一度はしっかりと読み返してほしい。
 また、ひらめいたテーマにこだわるのはいいけれど、そのテーマに先行するミステリーがないかどうかは、やはりチェックしたほうがいいだろう。 トリック同様、テーマにも「新しさ」を期待するからである。

吉田伸子

 今年は、例年にも増して接戦でした。終ってみれば、得点上位4作が最終候補という順当な結果になりましたが、 最終候補作と惜しくも候補を漏れた作品との差、は紙一重でした。ですが、その″紙一重″が大きいのもまた事実です。 今回、二次に残った作品のなかには、アイディアにはオリジナリティがあるものの、 そのアイディアに寄りかかってしまっている(そのアイディアを「成立させるため」の物語になっている)作品が何作かありました。
 せっかくのアイディアであっても、それをミステリとして成立させるために無理が出てしまうと、作品としての魅力は薄れてしまいます。 アイディア「だけ」では、二次を勝ち抜くことは難しいです。あと、これは昨年も書きましたが、「推敲」の重要性。 てにをはの間違いや誤変換はまだしも、登場人物の名前を間違えるというのは、致命的なことだと思ってください。 辛口なことを書きましたが、私を始め、予選委員はみなさんの応援者でもあります。どんどんチャレンジして、新しいミステリの扉を開いてください。

TOPへ戻る