一般財団法人光文文化財団

第16回日本ミステリー文学大賞新人賞選評

葉真中 顕(はまなか あき)

受賞作:
『ロスト・ケア』
受賞者:
葉真中 顕(はまなか あき)
受賞者略歴:
1976年東京生まれ。2009年児童向け小説『ライバル』で角川学芸児童文学賞優秀賞受賞。 11年より『週刊少年サンデー』掲載の『犬部! ボクらのしっぽ戦記』にてシナリオ協力。 ほか、ライターとして学習誌の記事、コミックのシナリオなどを手がける。
選考委員:
綾辻行人、近藤史恵、今野 敏、藤田宜永
選考経過:
応募166編から、2次にわたる選考を経て、最終候補4編に絞り受賞作を決定。
贈呈式:
2013年3月15日 東京會舘(東京・丸の内)

受賞の言葉

新人賞

葉真中 顕(はまなか あき)

 願わくは読む者の魂に届くような物語を書きたいと思い、執筆を始めた。現実の社会問題をモチーフに、普遍的な人の善悪愛憎の彼岸まで描くつもりで書き進めた。 一文字ごとに筆力不足を思い知らされたが、せめて精一杯、自分の言葉をつむぐことに努めた。 誰に頼まれたわけでなく自分の意志で書き始めたのだから、そのぶん書くという行為に真摯でありたいと思った。 力不足なりにも持ち合わせたもの全て、最後の一滴まで搾りきるつもりで、パソコンのキーに叩きつけた。まだ見ぬ読者を思い描き、届け、届け、と物語を編んだ。
 結果、賞を得ることができた。評価されたことは嬉しいし、選考に関わった方全てに感謝したい。とはいえ、まだスタート地点に立つことを許されたに過ぎないのも承知している。
 私の拙い企みは、ここから先が本番だ。さあ、世に問おう。物語よ、届け。

選考委員【選評】(50音順)

綾辻行人

 葉真中顕『ロスト・ケア』は掛け値なしの傑作である。選考会では全員の意見がすんなり一致して、この作品への授賞が決まった。
 たいへん現代的な、なおかつ普遍性を持った大きな問題に真っ向から挑んだ、堂々たる社会派作品である。 そうして同時に、大胆かつ周到な計算によって創り上げられた、非常に技巧的なミステリーでもある。全編を読みおえたのち、改めて序章を読み直してみることを強くお勧めする。
 下手をすると素材やテーマの重さに押し潰されてしまいかねない物語なのだが、これを切れ味のある文体でテンポよく語っていく技術・バランス感覚は新人離れして絶妙。 冒頭から強く引き込まれ、中盤もぐいぐいと読まされ、終盤は驚きと納得と感動の連続で……いやはや、まいりました。脱帽ものです。
 日本ミステリー文学大賞新人賞の選考に携わるのは今回で四度目、僕はこれが最後のお務めになるのだが、最後にこのような傑作を選ぶことができて本当に嬉しく思う。 三十代半ばの作者の、今後の活躍に大いに期待を寄せたい。
 受賞は逸したが、夏みちる『ツバサ』も素敵な小説だった。ライトなSF設定を用いたファンタジックなサスペンスミステリーの秀作。 いろいろ突っ込みどころはあるものの、全体として実に愉しい、読後感の良いエンタテインメントに仕上がっている。 『ロスト・ケア』がなければ、この作品に授賞という結果もありえたかもしれない。
 市川智洋『スパイダー ドリーム』と富原田りんね『ダブルムーンにくちづけを』は、先述の二作に比べるとあらゆる点で力不足と云わざるをえない。 前者は現代ミステリーとしてはあまりにも凡庸で面白味に欠ける。後者については、そもそもミステリーの体をなしていないとも思えた。 両者とも、もっと自覚的に読者を「もてなす」工夫と努力をされる必要があるのではないか。

近藤史恵

 私が選考委員をした四年間で、いちばんレベルの高い年だったと感じる。 『ロスト・ケア』は書き出しでだいたいの構造は見えた気がして、少し冷めた気持ちで読み始めたのだが、見事に裏切られた。 ミステリとしての構成のうまさ、事件解決への道筋、そして「介護」というデリケートな問題を扱う手つきの公正さに感嘆した。審査員満場一致で、受賞作とすることになった。
『ツバサ』は例年なら充分受賞レベルに達している作品で、ややお約束を踏襲しすぎるきらいはあるとはいえ、エピソードひとつひとつが印象的でひきこまれた。 最終候補作の中で、いちばん読者として楽しめた作品である。 『ロスト・ケア』とはミステリとしての構成力に差があり、同時受賞には至らなかったが、筆に魅力と勢いがあるというのはプロになる上で欠かせない資質である。 この先も頑張ってほしい。 『スパイダー ドリーム』の筆者はこの賞の常連ではあり、真面目にミステリの形を創り上げているが、どうしても魅力に欠ける。 例を挙げるならば、教授が殺されたのではないかと探偵役が疑問を抱く過程でも、もっと吸引力のある謎が提示できたはずである。 毎年、成長が感じられるのは好ましいけれど、この先に行くのには、もっとプロの小説を研究した方がいいように思う。
『ダブルムーンにくちづけを』の作者はミステリの書き方自体、理解していないのではないだろうか。 視点人物が知っていることをただ隠しているという構造では、読者を納得させることはできない。 叙述トリックにするなら、もっと繊細な神経を使って書くべきことである。 また、心理描写、雑貨などの描写も作者が力を入れているのはわかるが、どうも古くさいというか、手垢のついた印象があって楽しめない。 おおもとのアイデアには吸引力があるが、もう少し丁寧に構成を考えて、描写をしてほしい。

今野 敏

 『ダブルムーンにくちづけを』は、かなり読みづらく、わかりにくい作品だった。 水をめぐる秘密が提示されており、それに興味を引かれたが、複雑な人間関係がわかりにくく、謎解きの後も腑に落ちた気がしない。
 布石もそれなりに打ってあるのだが、それがあまり生きているとは思えない。名詞を句読点なしで並べたりと、文章もかなり乱暴な印象があった。
『スパイダー ドリーム』は、少ない手持ちの札を、出し惜しみしながら恐る恐る提示しているという印象だった。 読者にとって必要のない描写や記述が多い。この作者は、何を書くべきで、何を書くべきでないかを理解していないようだ。
 後半になり、さまざまなトリックが出てくるが、どれも陳腐で謎が解けたという快感がない。犯人の意外性もなく、主人公のモチベーションも感じられない。
 この作者は、小説よりもノンフィクションのほうが向いているのではないかと思った。
 受賞作となった『ロスト・ケア』は、文句なしの傑作。ミスリードを誘っていく構成が見事。 なおかつ、叙述トリックにもなっている。ただ、介護を巡る状況など、情報がやや生噛みという印象があった。 だが、それも大きな疵ではなかった。登場人物たちの前半の、きれい事とも思える発言が、後半次々と意味合いを変えていく構成の見事さには脱帽だ。
『ツバサ』は、ある意味、私が一番推した作品だった。読みはじめは、ちょっと少女趣味だし、鳥に感情移入などできないし、困ったな、と思っていた。 だが、読み進むうちに、すっかり物語に引き込まれてしまった。これは、大きな才能だ。学ぼうと思っても学べるものではない。
 この作者は、エピソードをうまく書くことができる。それが一番の強みだろう。今回は、受賞を逃したが、ぜひまたこの作者の作品を読んでみたいと思う。 次回の応募を強く期待する。

藤田宜永

 今回は満場一致で受賞作が決まった。私もいろいろな選考会を経験しているが極めて珍しいことである。
 受賞作の『ロスト・ケア』は、文章力、ミステリとしての作り、筋の運び……とどれを取っても、他の作品を上回っていた。 しかも、選考委員の褒めどころが微妙に違った。そこが、この作品の厚みを証明している。私は作者の批評精神に特に着目した。 登場人物の意見や生き方を上手に対比しつつ、テーマを掘り下げることができたのは技術でなくて、作者の作品と向き合う姿勢だろう。こういう作品に出会えて私は非常に満足している。
 次に点が高かったのは『ツバサ』である。鳥が擬人化された、教訓的おとぎ話で、その発想と、 雰囲気を作り出す筆力を評価する選考委員がいたが、私は、謎解きの弱さと、ステレオタイプの人物像に違和感を持った。 私も鳥が大好きな人間だからかもしれないが、鳥の鳥らしい描写がほしかった。しかし、次回の作に対する期待は高い。是非、もう一度、この作者のものを読みたいと思っている。
『ダブルムーンにくちづけを』は、床下の水槽に眠る骨という幻想的なイメージ、介護に疲れた人たちが毒水をほしがるというブラックユーモア的な設定は良かった。 しかし、物語の運びと体言止めの多い文章には問題がある。日記の部分にはかなりの工夫が必要だったろう。
『スパイダー ドリーム』の作者の作品を読むのは、これで三度目である。毎回趣向が違っている。 今回はオーソドックスな謎解き物の手法をきちんと押さえた、努力の跡が見られる作品だった。 私は、その努力に対して得点を入れたが、他の選考委員の賛同を得られなかった。この作者には、自分の書きたいものにのめり込む根拠なき自信が必要なのかもしれない。 それが書き手を天国に昇らせてもくれるし、地獄に突き落とすこともある。しかし、何であれ、焦点をしぼって思い切りスイングしてもらいたい。

候補作

 予選委員は、円堂都司昭・香山二三郎・新保博久・千街晶之・細谷正充・山前譲・吉田伸子の7氏。候補作は下記4作品です(タイトル50音順)。

「スパイダー ドリーム」
市川智洋
「ダブルムーンにくちづけを」
富原田りんね
「ツバサ」
夏 みちる
「ロスト・ケア」
葉真中 顕

 なお、予選会に先立ち、応募総数166編のなかから、1次予選を通過した19作品は下記の通りです(応募到着順)。

「紅葉川情死」
坂上 勇
「ダブルムーンにくちづけを」
富原田りんね
「夢を読む少女」
瀬見壮太郎
「愚者の選択」
柳沼庸介
「消えた本牧ホットロッドの夜」
牧野森太郎
「上海プリズナー」
赤石紘二
「犬のように眠れ」
柴門秀文
「神の筐体」
岡 辰郎
「ツバサ」
夏 みちる
「生ける埋葬」
村瀬 翔
「モントークの少女」
名糸 元
「盗まれた銃」
真霧 翔
「ロスト・ケア」
葉真中 顕
「のうのうと生きやがって」
斉藤孝信
「ポーキンヘッズ/Porkin' Heads」
坂野徳隆
「定家『雨月記』異聞 六歌仙の呪い」
篠 綾子
「眠れる森の殺人者」
山田武博
「クロス」
三塚 乃
「スパイダー ドリーム」
市川智洋

【予選委員からの候補作選考コメント】

円堂都司昭

 候補作のうち「ダブルムーンにくちづけを」と「ロスト・ケア」は、老人介護問題を扱っていた。 また、二次予選段階では、それら二作以外に二作が老人介護をとりあげ、ほかにもう一作が寝たきり老人を登場させていた。 過去には臓器移植を扱った応募作が多い年もあったし、特定のモチーフに集中してしまう年ごとの傾向というものはある。 そうした競争のなかで勝ち残るには、書き手がモチーフと十分にむきあうことが必要になる。 付け焼刃の知識ではなくよく理解すること、一般論ではなく自分なりの視点からとらえること、かといって奇をてらいすぎて話の中心を見失わないことが大切だろう。 最終候補に残った作品には、そのような意味で優れたところがあった。

香山二三郎

 昨年の予選評で他の新人賞への「既応募作品はそれだけで大きな減点となりやすい」と書いたが、相変わらずその手のダブりものが目についた。 残念! 残った四篇のうち二篇が介護問題を扱っていた。このテーマは今後も増えそうなので、安易に取り上げないのが吉かと。 これまで扱われてこなかった題材はそれだけで一飜(イーハン)アップ、新鮮なネタを期待しています。 他の作品では、印刷会社のOLが天才ゲーム作家とともに拉致監禁され人体の3D映像を作らされる『神の筐体』、 一匹狼型の広告マンが富豪のトラブルに巻き込まれる『モントークの少女』、 アジアの各都市で子供が〃豚顔皮〃を被せられて殺される事件が起きる『ポーキンヘッズ/Porkin'Heads』、 藤原定家が美男の僧侶と摂政の死の謎を追う『定家「雨月記」異聞 六歌仙の呪い』に惹かれたが、 いずれも設定や展開、文体等について強い反対意見があって推しきれなかった。

新保博久

 残念ながら今回は低調だった。最初あてがわれた応募作群を卒読したさい、他の選考委員はもっとヒキが強いことを期待した。 しかし、そういう見込みは薄いと経験的に知っている。他からの推薦作を読むと案の定。 受賞に価する一作があればそれでいいのだが、裾野が豊かでない時には頂上も低いとは、これまた経験の教えるところ。 幸い、これぞという作品が一つあり、もちろん最終候補に残っているが、さて結果は?
 今回の最終候補には新顔が多い。例年、応募してくれているのに今年見かけなかった実力派諸氏など、せっかくのチャンスを逃したのではないか。 もちろんそれが、他賞への過去の応募作の仕立て直しであったりすると、複数の賞で兼任している多くの予選委員の目を免れるものでなく、 新鮮味の欠如が減点される要因になりかねない。幸運の女神の前髪をつかむのに必要なのは運だけでないのである。

千街晶之

 今回は予選委員の評価がおおむね高かった作品から極端に賛否両論分かれた作品まで、四作が候補に残った。 世相を反映してか老人問題を扱った応募作が多かったが、まとまりの良さと衝撃度で『ロスト・ケア』が一馬身抜けていた。 テーマの扱いの危うさを指摘する意見もあったが、むしろその危うい部分にまで踏み込んだ点を評価したい。 『ツバサ』は動物パニックものとミステリーを上手く合体させているが、これほどの騒ぎなら警察はもっと大勢の人員を投入するのではないかという点は気になった。 『スパイダー ドリーム』は常連応募者の作品だけあって技術点はそれなりに高いものの無駄な描写が多い。 規定枚数ぎりぎりに書く必要は全くないので、削るべき部分は削ってほしい。賛否両論の問題作『ダブルムーンにくちづけを』だが、私はこの作品を支持する。 ミステリーとして強引ではあるのだが、独特の文体が不自然さを中和していると感じた。

細谷正充

 二重投稿は絶対にやってはいけないが、他の新人賞で落ちた作品を別の新人賞に投稿する〝原稿のたらい回し〟も、できれば止めた方がいいです。 プロの作家になろうというのなら、いつまでもひとつの作品にこだわるのはマイナスです。 また、応募規程ぎりぎりの枚数の場合、完成後のチェックは厳重にしてください。 ちょっとした勘違いや数え間違いで、枚数オーバー(もしくは足りない)の危険性があるからです。

山前 譲

 今回は他賞の選考で読んだ作品が少なくてホッとした(皆無ではない)。しかし、全体的なレベルは、ちょっと物足りなかった。 ミステリー云々以前に、主人公に魅力がなく、無駄な会話のやりとりでテンポを悪くしている作品が多い。 ミステリー的には、「視点」の吟味が不十分で、アンフェアな作品が目立った。 栁沼庸介『愚者の選択』は企業ミステリーとして面白かったのだが、やはり冒頭のシーンは完全にフェアとは言いがたい。 真霧翔『盗まれた拳銃』は、昨年の応募作とはがらっと作風を変えていて、荒削りながらもパワーを感じた。来年に期待したい。 篠綾子『定家「雨月記」異聞 六歌仙の呪い』はいいテーマなのだが、作品のトーンがちょっと現代的。古典の雰囲気をもっと出すことができたなら……残念だった。 何もこの賞に限らないことだが、ペンネームとタイトルにはもっと注意したほうがいいだろう。可愛い我が子を世に送り出すためには。

吉田伸子

 応募者のみなさま、お疲れさまでした。残念ながら最終選考に至らなかった方々も、諦めずに書き続けてください。 「新しいミステリ」は、みなさまの中にこそあるからです。
 いわゆる「二重投稿」はありませんでしたが、「使い回し」の作品は今年も見受けられました。 思い入れの深い作品なのでしょうが、ある賞で駄目だったら見切りを付けて、新しい作品で挑戦されたほうが後々実になるはず。 プロデビューしたら、ネタがないとか言ってられません。その準備だと思って、「新作」で勝負してもらえればと思います。

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