一般財団法人光文文化財団

第16回日本ミステリー文学大賞講評

皆川博子

受賞者:
皆川博子
選考委員:
大沢在昌、権田萬治、西村京太郎、森村誠一
選考経過:
作家、評論家、マスコミ関係へのアンケート等を参考に候補者を決定。
贈呈式:
2013年年3月15日 東京會舘(東京・丸の内)

受賞の言葉

大賞

皆川博子

 西條八十の古い詩を読んでいました。 〈自分の鉋で削り/自分の鑿で刻み/自分の刷毛で塗った/この赤い仮面の恐ろしさよ、/工人は戦慄(をのの)いてゐる。〉 そうして八十はまた、別の詩で、懐かしい死者たちに語ります。 〈懐(ふところ)から蒼白(あをざ)め、破れた蝶の死骸を取り出〉し、〈一生を子供のやうに、さみしく、これを追ってゐました〉と。
 物心ついたときは、すでに物語の海に溺れていました。おぼつかない手つきで、自分でも紡ぐようになって、 ふと気づいたら、四十年を経ていました。八十路に踏みいった生の半ば近くになります。 踏み跡は葎(むぐら)に消え、創り出したものの中には、再読に耐えぬ醜いものもあり、 そのとき、この大きい重い賞をいただくことになりました。これに勝る励ましがありましょうか。 編集者、読者、本造りに関わる多くの方々に支えられてきたと、深く思いを致します。 破れた蝶ではなく、私の手にあるのは〈シエラザード〉の像でした。

選考委員【講評】(50音順)

大沢在昌

 ミステリを書く後輩として、皆川さんの活躍には、ただただ頭が下がる。 デビュー四十周年を迎えられても、新たな世界への挑戦、美学へのこだわりには、驚嘆する他ない。
 本当に皆川さんにしか書きえない作品世界には、ある種の孤高さすら感じ、 さぞ厳しい執筆姿勢でのぞんでおられるにちがいないと畏れを感じていた。
 受賞はむしろ遅すぎたほどだろう。失礼になるのではと心配したが、ご快諾いただいたと聞き、私はほっとした。
 おめでとうございます。

権田萬治

 皆川博子氏は、ミステリー、時代小説、幻想小説など多彩なジャンルの作品を手がけ、 『壁 旅芝居殺人事件』で日本推理作家協会賞、時代小説の『恋紅』で直木賞を受賞するなど、 これまでに数多くの賞を受賞している方である。
 しかし、とくに『死の泉』(一九九七年)あたりから、海外を舞台にした独特の雰囲気を漂わせた大胆な着想のミステリーに力を入れ、 上質の作品を次々と発表している。
 最近は、若い世代の作品にも海外を舞台にする例は決して珍しくないが、氏の描き出す個性豊かな人間像と見事な構成力、 そして舞台装置となる世界の幻想的な雰囲気は追随を許さないものがあると思う。
 私はミステリーの謎解きの要素だけでなく、その小説的な魅力を重視する者だが、 その意味で今回の受賞は、まさに大賞の趣旨にふさわしいと考える。 これからもお元気で活躍されることを心からお祈りしたい。

西村京太郎

 最近、男の作家は、ミステリーに向いていないのではないかと思うことが多い。 男の作家(私だけかも知れないが)は、自分の作りあげた事件やトリックが面白くなって、 それをこねくり回すので、出来あがった作品は、どうしても「驚天動地の事件に挑む」とか 「千年かかっても解けぬトリック」という売り言葉になってしまう。 こうなると、本来の小説の楽しみの半分は、消えてしまうのである。 小説の中の、人間や、人生を見る楽しみである。その点、女性のミステリー作家は、 しっかりと小説本来の楽しみを書き、それにミステリーの味をプラスしているので、読者は安心して読める。 今回、日本ミステリー文学大賞に推された皆川博子さんは、そうした女性作家の代表選手と呼べる人である。 何冊か読ませていただいたが、間違いなく、文学本来の楽しさと、ミステリーの面白さを同時に味わえる、 今後のミステリーの王道を行くもので、もっとも大賞にふさわしいということが出来る。

森村誠一

 皆川さんとは長いつき合いである。初めてお会いしたのは、たぶん私のデビュー当時、四十数年前と思う。
 当時の日本推理作家協会会員二十数名が打ち揃って、科学警察研究所を見学に行ったとき、皆川さんがおられた。 一行には山村正夫、大藪春彦、斎藤栄、藤村正太、松本孝、高原弘吉、福本和也、都筑道夫、井口泰子、石川喬司各位など、 故人を含む錚々たるメンバーが参加していた。
 そのとき同所構内で記念撮影した写真は、私の宝物となっている。だが、写真の中に私は写っていない。 なぜなら、私が撮影者であったからである。
 このメンバーの中で、かなりの方が鬼籍に入り、その後、皆川さんは小説現代新人賞、日本推理作家協会賞、 直木賞などのグランプリを積み重ね、デビュー四十年を迎えたこの年、日本ミステリー文学大賞を受賞、 創作意欲はますます盛んにして、超大作に挑んでいる。
 衰えを知らぬ執筆意欲は、可能性の限界を追求する作家の宿命的な姿勢であり、もって範とすべき理念(ヴィジョン)である。
 皆川さんが開拓した幻想小説は、まさに青春の幻影そのものであり、幻影の中に人生の真実を刻む作風は、他の追随を許さない。
 だが、皆川さんの青春は幻影ではなく、永遠の青春として、この道一筋の求道となっている。
 皆川さんの受賞を心から寿ぎ、終わりなき夢の狩人として、ますます大きな花を開かせることを祈ります。

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