- 受賞者:
- 佐々木 譲(ささき じょう)
- 選考委員:
- 大沢在昌、権田萬治、西村京太郎、東野圭吾、森村誠一
- 選考経過:
- 作家、評論家、マスコミ関係へのアンケート等を参考に候補者を決定。
- 贈呈式:
- 2017年3月23日 帝国ホテル(東京・内幸町)
受賞の言葉
大賞
佐々木 譲(ささき じょう)
二十九歳のときにオール讀物新人賞を受賞して小説を書くようになり、そこから数えれば三十七年、
会社勤めを辞めて専業の作家となってからは三十二年、書き続けてきたことになります。
とはいえ青春小説から、サスペンス、冒険、歴史、警察小説へと、関心の赴くままにジャンルを移し、
ときには後戻りもしながら書いてきたので、経験年数は単純に累積していくはずもありません。
自分はいつもそのフィールドの新人、新参者だ、という意識がありました。正直なところ、
そのどれかでは中堅ぐらいまで来たか、と思えるようになったのは、ほんのこの数年のことに過ぎません。
なのでこのような栄えある賞をいただいていいのか、通知を受けたときには大いに戸惑い、うろたえました。
でも、次に脳裏に浮かんだのは、これまでわたしを担当してくれた多くの編集者さんたちの顔です。
みなさんが喜んでくれるだろう。多少は称えてくれるかもしれない。少なくとも、
おいしいお酒を飲む理由のひとつとしてくれるのではないか。
謹んで栄誉を頂戴する次第です。
選考委員【講評】(50音順)
大沢在昌
佐々木さんが『ベルリン飛行指令』(一九八八)『エトロフ発緊急電』(一九八九)をたてつづけにだされたとき、同じ一九七九年デビューの身として、「うかうかしてはいられない」という焦りを強く感じたことを、私はついこの前のことのように覚えている。その後、歴史小説を経て警察小説を書かれるようになったが、一昨年受賞の船戸与一氏と同じく、戦友でありライバルだと、常に意識していた。
その佐々木さんに本賞をさしあげるのは面映ゆいが、実績を考えるなら当然の受賞である。
譲さん、おめでとうございます。
権田萬治
佐々木譲氏は、多くの賞を受賞した『ベルリン飛行指令』、『エトロフ発緊急電』、
『ストックホルムの密使』の第二次世界大戦秘話三部作など、
幅広い国際的視野と的確な歴史認識に立つ優れた冒険小説の書き手という印象が強烈だが、
実は多彩な才能の持ち主で、デビュー以来サスペンスものやホラー、バイク小説や重厚な歴史・時代小説も書いて来た。いずれも水準が高い。
二〇〇四年から書き始めた出身地の地元、北海道警を舞台にした『うたう警官』など一連の警察小説は現実感豊かな設定と
生き生きした人物造形で人気を集め、『廃墟に乞う』で直木賞を受賞した。
このような業績は豊かな才能と新しいジャンルに常に挑戦する真摯な情熱の結晶であり、まさに大賞にふさわしい人である。
これからも大いに活躍して読者を楽しませて頂きたい。
西村京太郎
現代に生まれた作家は、現代を書くべき責任があると思っている。その現代は、戦争と平和の時代だった。
戦後に生まれた作家でも、戦争の影響を受けている社会に生きている以上、調べてでも、戦争を書いて欲しい。
一九五〇(昭和二十五)年に生まれた佐々木譲さんも、戦後生まれだが、戦争を書いている。
しかも『ベルリン飛行指令』『エトロフ発緊急電』『ストックホルムの密使』の三部作によって、
あの戦争のひとつの断面を見事に書き切っている。
これによって、佐々木さんは、現代の作家としての責任を果たしたといえるだろう。
また、この仕事によって、佐々木さん自身も大きくなったといえるのではないか。
その証拠が、二〇一〇年に『廃墟に乞う』で、直木賞を受賞されたことだと思う。
今回のミステリー文学大賞は、当然の受賞だが、私は、初めて佐々木さんにお会いできるのを楽しみにしている。
東野圭吾
八〇年代の後半、出版界に、それまでノベルズ版で出されるのがふつうだったミステリ小説をハードカバーで出版しよう、
という動きが出てきた。単価が上がるわけだから、当然読者の目は厳しくなる。
作品の出来が値段に見合ってないと思われたら、この動きにはブレーキがかかるはずだった。
そうならなかったのは、多くの作家たちが張り切って良作を書いたからだ。
佐々木譲さんの『ベルリン飛行指令』もその一つで、続く『エトロフ発緊急電』と共に、小説の新しい扉を開いたと思う。
その後、冒険小説だけでなく、サスペンス小説、時代小説、警察小説と挑戦を続け、
エンターテインメントの地位を押し上げた功績は大きい。
私が日本推理作家協会の理事長時代、協会賞の選考委員をお願いしたのが昨日のことのようだ。
こういう形でお礼ができて、とても嬉しい。
森村誠一
第二十回日本ミステリー文学大賞に最も相応しい人が受賞された。受賞者は佐々木譲氏である。
佐々木さんとは、面白い御縁があり、あるパーティでVIPのみが坐るテーブルでなんとなく一緒になってしまった。
そのとき佐々木さんと私に挟まれた紳士がなんと紀伊國屋松原治会長であった。
それまで手持無沙汰であった松原会長が佐々木氏を見て、「あなたは世界で売れますね。特に私の店で……」と言われたように私の耳に聞こえた。
正確な刊行時は憶えていないが、『新宿のありふれた夜』を連想した。
戦争から世界をまたぐ雄大な冒険小説を仕立て上げ、日本文芸の日本語の壁を崩し、世界の小説とした。
そして「本の力」となった。