一般財団法人光文文化財団

第26回日本ミステリー文学大賞新人賞選評

柴田祐紀(しばた ゆうき)
撮影/福田ヨシツグ

受賞作:
『60%』
受賞者:
柴田祐紀(しばた ゆうき)
受賞者略歴:
1974年12月10日、秋田県由利本荘市生まれ。現在、秋田県由利本荘市に在住。会社員。
選考委員:
有栖川有栖、恩田 陸、辻村深月、薬丸 岳
選考経過:
応募147編から、2次にわたる選考を経て、最終候補4編に絞り受賞作を決定。

受賞の言葉

新人賞

柴田祐紀(しばた ゆうき)

 コロナという禍が世界中に降り注ぎ、本来あるべき素敵な時間が失われてしまったと考える方々が大勢いらっしゃると思います。
 コロナ禍ゆえに家族のもとへ帰るのも躇われる単身赴任者の常で、休日は案外することがなく、そうして寒々しい退屈を紛らわせるために何気なく手に取った一冊の本。そこから思いもよらない運命の歯車が動き出したようです。
「読む」から「考える」へと歯車はどんどん回り続け、そうして速度を落とすことなく「書く」へと回転し続けていきました。
 語弊があるかもしれませんが、「書く」という行為に没頭している時間は、コロナ禍がもたらした唯一の素敵な時間だったのかもしれません(前向きに考えようとすれば)。
 そんな中で気づくと家族のほか、友人、職場の同僚や上司、多くの方々が応援してくださっておりました。この場を借り、あらためて感謝申し上げます。ありがとうございました。

選考委員【選評】(50音順)

有栖川有栖

 刺激的な議論の末に、『60%』を受賞作とすることで意見が一致した。風変わりなタイトルが意味しているのは、マネーロンダリングを目的とする投資コンサルティング会社の名前で、地下で蠢くワルやそれに引き込まれる者たちが黒いドラマを繰り広げる。キャラクターの設定とその配置の面白さで読ませ、最後に明かされるのは、なんと――。
 終盤の畳み込みが速すぎるのではないか、その結末の続きを書けばよかったのでは等、気になる点はあるのだが、続きが気になると思わせるのも作品の力だろう。
 柴田祐紀さん、おめでとうございます。
 最後まで受賞を争った『夜明けの篝火』は、明治七年の横浜が舞台で、宴の席から英国公使の娘が誘拐される場面に始まる。邏卒、貿易商、通詞、幽霊強盗の一味らが入り乱れて、物語はにぎやかに展開するのはよいが、捜査・推理や結末に意外性が乏しく、いい台詞が欲しいところで来ない。新政府に蜂起する勢力の正体なり理由なりに痛快な大嘘があれば強く推した。
『第一号法廷の死』は、法廷を舞台にした密室とアリバイのトリックが二つとも弱すぎる。推理は憶測の域を出ず、登場人物たちのほとんどが法曹界の人間なのに、これは大変まずい。古めかしい神の視点を採用した効果も出ておらず、司法修習生の主人公の影を薄くしただけではなかったか。
『残叫』は、被災地に現われる幽霊という発端こそミステリアスだが、答えを聞けば謎でもない。震災・性暴力・ネットの暴力・高齢者ドライバーによる事故・紛争地でのジャーナリストの死など、不幸の味が濃い素材ばかり集め、犯人がバラバラに何人もいるミステリーに仕立てただけに思えてしまった。重要なキャラクターの不破は、情熱・思慮・調査能力のいずれもが足りず、役が務まっていない。

恩田 陸

『第一号法廷の死』。目新しさはないけれど、それなりに楽しく読んだ。作品全体をミステリとしてまとめあげようとしているところは好感が持てる。いかんせんトリックや動機、視点と記述など、初歩的なところで問題点はたくさんあるが、コロナ禍下でなければ成立しないアイデアを盛り込んでいるところに座布団一枚。
『残叫』。登場人物の設定があまりにも類型的で深みがない。メディアの功罪や被災下の性犯罪など、重いテーマを据えようとしたのは勇気があると思うが、その扱いが浅く、どうにも「借り物の正義」に感じてしまった。生き残った人たちが、みんながみんな、震災時に罪を犯していた、というのはあまりにもご都合主義だし救いがない。全体の構成力やきっちり伏線を回収できるところなど、技術はある人だと思うので、もう一度、書きたいジャンルや題材について、つきつめて考えてみてほしい。
『夜明けの篝火』。申し訳ないのだけれど、あまりに一本調子で、読みながら何度も落ちてしまった。歴史ミステリというのは、実は読者にすごく負荷を掛ける。時代背景や風俗を想像、理解しながら読み進めなければならないからだ。逆に、書いているほうは、調べたことを盛り込むことに労力を使っているのでそれなりに達成感があるため、プロットが貧弱であることを自覚しにくい。この作品がまさにそうであり、しかも本来単純な話なのに、メリハリのない説明のため、あらすじを読むまでその構造がよく分からなかった。コンスタントに長編を仕上げられ、技術的には安定感がある人なので、オリジナリティやドライブ感を出すことを意識する段階なのではないだろうか。
 小説の魅力。そのことについては、ふだんから自分が書く時も考えているし、新人賞の選考会でも常に頭の隅にある。『60%』は、粗はあれども(特に冒頭とラスト)、これまでの候補作中、最も魅力を感じた小説だった。タイトルも気に入ったし、出てくる登場人物が皆面白く、作者の持つ、一種独特な美学や哲学にも惹かれるものがあった。何より、映像で見てみたいと思ったシーンがたくさんあり、一読者として次の作品が読みたいと思ったので、いちばんに推した。

辻村深月

『60%』と『夜明けの篝火』のどちらかが受賞するのであれば同意しようという思いを胸に選考会に臨んだ。
『夜明けの篝火』は、明治時代の邏卒を主人公とし、英国公使の令嬢が誘拐されるという設定がおもしろく、著者が丹念に資料にあたったうえで丁寧に物語を構築している点にとても好感を持った。ただ、ストーリーはよくできているのに、それを魅力的に見せようという演出の野心が足りない。おそらく著者の真面目さが淡々とした筆致で文章を紡がせてしまうのだと思うが、あなたの構築する世界には、少しの工夫で、より派手に読者を心躍らせる力があるのだと理解してほしい。たとえば、令嬢がいきなり誘拐されるのではなく、父親と仲睦まじく過ごし、日本人に対しても日本語で丁寧に挨拶するようなあの聡明さを最初の場面で描いていたなら、彼女の安否に対する読者の気持ちはどうなったか? 今回は受賞を逃したが、ぜひまた挑んでほしい。
 受賞作となった『60%』は序盤からテンポがよく、登場人物それぞれの造形も、少ないエピソードや描写から魅力的に香り立つ。それゆえに、彼らの葛藤やラストシーンのその先をさらに読みたいという物足りなさも感じたのだが、そうした次への期待も含めて、受賞に賛成した。次作も楽しみにしている。
『第一号法廷の死』。法壇の上の死体、密室など、ミステリを書こうという気概に満ちた作品だと感じたが、全体的にまだ書き慣れていない印象。また、過去現在ともに西門がやすやすと犯人の身代わりを引き受けてしまう展開に違和感。弱い立場の人間は他者に自分の運命を捧げても仕方ないのか? そこに著者なりの葛藤が見えないことにも不満が残った。
『残叫』。震災や性暴力など、現実と結びつきの強い繊細なテーマを扱うにあたっての心構えや配慮が残念ながら文章に感じとれなかった。現実の事件から一歩退いた観点で真に何が書きたいのか、よく向き合ってみてほしい。

薬丸 岳

『第一号法廷の死』視点人物が多く、またそれぞれの登場人物が〝引き出しの中のそれを見て〟など、曖昧な表現が散見されるため話の展開が非常にわかりづらい。こういう記述は時として謎の興味を読者に深めさせるが、あまり多用し過ぎると逆効果になってしまう。また、犯人のなりすましのトリックや、フェイクの法廷など、自分には現実的には思えず強く推せなかった。
『残叫』東日本大震災を背景にした作品で、著者が被災地の現状を丁寧に描こうとしているのはわかるが、中盤あたりまでなかなか話が進展せずもどかしさが募った。その後はミステリーの要素が強くなり、展開としてはおもしろくなってきたが、終盤多くの登場人物を事件に絡めすぎたせいか作為的な印象が強くなってしまった。平岡の鍵のくだりは必要だったのだろうか。この作品に対する著者の熱量の高さは認めるものの、同時にこのような極めてデリケートな題材に対するアプローチのしかたに危うさのようなものも感じた。
『夜明けの篝火』明治時代初期を舞台に邏卒と、英語を話せる貿易商がバディを組んで事件の捜査をするというアイデアが秀逸で、当時の背景なども物語にうまく取り込まれ、破綻の少ない整った作品だと思った。
『60%』ノアール小説としておもしろい作品だと思ったが、物語の展開も登場人物の描写もずいぶんと粗削りな印象を抱いた。特に柴崎純也のカリスマ性が、著者が狙っているほど自分には伝わってこなかった。それは読者と作品世界をつなぐ接点となりうる後藤の葛藤や恐怖、さらにそこから柴崎を信奉していくまでの心情がきちんと描かれていなかったからではないかと思う。ただ、そう言いながらもこの作品の登場人物たちの生々しい突き抜けた感情がとても魅力的に思え、物語の完成度としては『夜明けの篝火』が上回るのではないかと感じながらも、最終的にはこの作品を受賞作に推した。

候補作

予選委員7氏=円堂都司昭、佳多山大地、杉江松恋、千街晶之、西上心太、細谷正充、吉田伸子+光文社文芸局が10点満点で採点、討議のうえ決定(候補者50音順)。

「第一号法廷の死」
伊藤信吾
「60%」
柴田祐紀
「残叫」
榛葉 丈
「夜明けの篝火」
山本純嗣

応募総数147編から、1次予選を通過した21作品は下記のとおりです(応募到着順)。

「60%」
柴田祐紀
「バブルローヤー」
上終勇士
「ウサギたちの夜」
後藤 敬
「幻影の斜塔」
勝木友香
「生きていて生きていない」
澤柳弘志
「残酷で幸福な僕たちの楽園」
友広真二
「イノセントヘイヴン」
友広真二
「情報汚染」
青城春元
「冬と夏と雪と。」
斎堂琴湖
「承継」
久司優人
「残叫」
榛葉 丈
「ディザスター・レディ」
服部 倫
「夜明けの篝火」
山本純嗣
「四番目の猿」
松田幸緒
「第一号法廷の死」
伊藤信吾
「失われゆく時を求めて」
相羽廻緒
「真贋の誤謬」
相澤優一
「探偵は最後の手段を選ばない」
佳川志乃
「なくしたものの夢ばかり見る」
小里 巧
「緋色の慟哭」
泉美咲月
「ヒーローはなぜ殺される」
和倉 稜

【予選委員からの候補作選考コメント】

円堂都司昭

 応募作に関して気になったことを二点書きます。
 謎を提示する前半は面白いのに、後半になってそれまで触れなかったことをいきなり持ち出し、真相判明に向かうと同時にばたばたと騒動が起きる。でも、前半にあった謎や犯人の動機について十分に語りきらないため、消化不良のまま終わってしまう。そんな作品が目立ちます。前半できちんと伏線を張れているか、後半が拙速になっていないか、前後のバランスに留意して推敲してください。
 また、日本ミステリー文学大賞新人賞は、ミステリーを対象とした賞です。ミステリー要素が少なく、むしろこれは恋愛小説、時代小説など別ジャンルの賞に送った方がいいのではと思える原稿が散見されます。ミステリーの賞だからといって、無理をしてミステリーにしているような例もあります。自分が本当に書きたいことを書き、その作品にふさわしい応募先に送りましょう。

佳多山大地

 予選委員の任も今回で4年目。コロナ禍のいわゆる第7波の急襲を受け、最終候補作を決める予選会は3年連続のリモート開催になりました。その3年の経験から思うのは、自分の“推し”を推し続けるボルテージがリモートだと上がりきらないということ。残念ながら今回、最終候補の最後のひと枠をめぐって推し通せなかったのが 「ヒーローはなぜ殺される」であり、僕は同作で描かれた元スーツアクターの異様な自己犠牲のロジックを大いに買っています。作者の和倉稜さん、ぜひ来年も意欲的な新作で挑んできてください。
 さて、その名も日本ミステリー文学大賞新人賞が求めているのは、現代日本のミステリーシーンにインパクトを与える「新しい魅力と野心に溢れた才能」です。手堅くまとまった応募作が不利だというわけでは決してありません。が、既存の作家の誰とも似ていない個性/アイデアが、いびつに押し出されていてほしいのです。もちろんそれには、バランス感覚も重要。自分(作者)が面白がれるものであると同時に、他人(読者)を面白がらせるサービス精神をゆめ疎かにするなかれ、です。

杉江松恋

 二次選考止まりの作品は、ワンアイデア頼りのものが多かったように感じます。そうした作品は柱の着想に脆弱性が見つかるとどうにもなりません。思いつきを一つ入れるだけで満足せず、二本、三本と添え木を。例えば謎解きだったら、犯人の意外性だけで勝負するのではなく、動機の新しさ、犯行手段の特殊さとアイデアを盛り込む必要があります。構成のバランスが悪い作品も多かったと感じました。頭が重すぎて話が動き始めるまで時間を要するもの、中だるみしてサプライズのためのサプライズでなんとか場つなぎしているもの、どちらも駄目です。途中で力尽きたのか、関係者の独白でそそくさと説明をして終わるのは最悪です。他人に読んでもらう小説なので、全般にわたって楽しませる配慮を。また、エンタメ作品の賞であるのに、スリルの醸成に無関心な書き手が多いことも気になります。どうすれば読者をハラハラさせられるかを真剣に考えましょう。読む側の気持ちになって丁寧に。

千街晶之

 二次選考には約二十本の一次通過原稿が上がってきて、そのうち四本を除けばこの二次の段階で落選が決まってしまうわけだが、それらの落選作は大まかに二種類に分類できる。どう読んでも一次通過止まりでしかない原稿と、あと一歩で最終選考まで残れたはずの原稿だ。
 後者は、最終に残った作品と比較して、水準の差はさほど大きくない場合もある。では、何故残れないのか。ひとつひとつを取り上げれば細かい瑕でしかない弱点が、「最終にあと一本しか残せない」というギリギリの局面における議論ではとんでもない致命傷と化してしまうからだ。むしろ水準の高い作品ほど、細かい瑕が命取りになってしまうと言っていい。最終に残りたければ、どんな小さな瑕もあらかじめ気づいた場合は修正しておいたほうがいい。たったひとつの瑕のせいで、貴方の数カ月の努力が無駄になってしまう場合すらあるのだから。

西上心太

 まずは思いついたアイデアを発酵させ、プロットを構成する。ミステリーでは何らかの事件が起きます。主人公は事件に巻き込まれた当事者なのか、事件を解決する側の人間なのか。あるいはその両方に関わる人物であるのか。一人の主人公ではなく群像劇を描きたいのか。あなたのアイデアは、無数のパターンに分岐していくかもしれません。
 その中から最善と思えるプロットを選び、主人公を創造し、その人物の感情を揺り動かすストーリーを紡いでいくのが次の段階でしょう。そしてそれを文章化して「小説」に仕上げていく。
 二次選考にまで残った応募作を読むと、プロットを文章化することに汲々としていて、ストーリーにまで発展し切れていない例が多く見られました。緩急がつかめず、背景や人物の説明に手間取ったり、書き込みが不足したり、結果的に読み手を飽きさせることにもつながります。何が起き、それが主人公や登場人物たちにどのような影響を与え、彼らがどのように変化していくのか。ちょっと抽象的になりましたが、一度これらのことを考えて、ご自分が好きな作家や定評ある作品を、じっくりと読みこんでみることをお奨めします。

細谷正充

 二次選考までは行く。しかし最終選考まで行かない。こういう投稿者は少なくない。
 まずいっておきたいのは、二次選考まで行った作品は、一定の水準に達しているということだ。きちんと小説として読むことができる。しかし一方で、足りない部分がある。
 もちろん足りない部分は、作品によって違う。主人公に魅力がない。エピソードの配置や構成に難がある。物語の都合で選んだだけで、取り上げた題材に興味のないことが透けて見える。現実の問題を安直に扱う。肝心のミステリーの部分が薄味。本当に足りない部分は、さまざまなのだ。
 とはいえ、足りない部分を直しても、マイナスがゼロになるだけである。二次選考に残った作品は、当然、いい部分がある。そこを伸ばすことも、同時に考えるべきだろう。自分の物語に、何が足りないのか、どこがいい部分なのか。自己を客観視することは難しいが、これを正確に見極めて、さらなる素晴らしい作品を生み出してほしいのである。

吉田伸子

 今回、二次選考に残った作品を読んでいて気になったことの一つに、せっかく大きなお話を描いているのに、そのお話を支えている細部が粗い、ということがありました。大きな嘘は、小さなリアリティを積み重ねることでいきてきます。スケールの大きなお話を描こうとする姿勢はすごく良いと思うのですが、同時に細部への目配りにも気をつけてもらえればと思います。
 もう一つは、これまでの選評にも書いてきたことですが、誤変換や助詞の間違いについて、です。誤変換なので、音から推理して読めますし、作品評価に関わる瑕疵ではないのですが(そういうことで落ちるということは決してありません)、推敲することで防げることです。できれば、応募する前に、再度の推敲をしていただければ、と思います。
 今年の二次選考に残った作品には、例年より女性の書き手が多かったことは、同性として嬉しかったです。

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