一般財団法人光文文化財団

第15回日本ミステリー文学大賞新人賞選評

前川 裕/川中 大樹

受賞作:
『クリーピー』(「CREEPY」改題)
受賞者:
前川 裕(まえかわ ゆたか)
受賞者略歴:
1951年東京都生まれ。一橋大学法学部卒業後、東京大学大学院修了。現在、法政大学国際文化学部教授。専門は比較文学、アメリカ文学。

受賞作:
『茉莉花 サンパギータ』(『サンパギータ』改題)
受賞者:
川中 大樹(かわなか ひろき)
受賞者略歴:
1968年神奈川県生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。

選考委員:
綾辻行人、近藤史恵、今野 敏、藤田宜永
選考経過:
応募157編から、2次にわたる選考を経て、最終候補4編に絞り受賞作を決定。
贈呈式:
2012年3月15日 東京會舘(東京・丸の内)

受賞の言葉

新人賞

前川 裕(まえかわ ゆたか)

 還暦を迎えて最終候補に残った今回が、最後のチャンスだと思っていました。奇妙な言い方ですが、受賞するより、 最終候補に残る方が難しいというのが私の実感です。大学に勤めながら書いてきたため、毎年の応募というわけには行きませんでした。 しかし、小説を書くことを片手間の仕事と考えたことは一度もありません。アカデミズムの世界とは、 異質な才能が要求される分野であることも十分に知っているつもりです。その厚い壁を突き抜けることが私の長年の夢でした。 電話の前で受賞の知らせを待つ緊張感は、苦痛なものです。しかし、「おめでとうございます」という声を聞いたときの喜びはまた格別です。 あの喜びの瞬間を忘れることなく、私は還暦の新人として書き続けていこうと思います。
 四人の選考委員の先生方に心から感謝いたします。また、私を応援し、受賞を喜んでくれた、 友人、同僚、それから過去・現在の私の学生たちにも、心から感謝の気持ちを伝えたいと思います。

新人賞

川中 大樹(かわなか ひろき)

 初めて小説を書いたのは三十代半ばのとき。クスブリのままでは終われないと勝負をかけるべく目指したのが「小説家になる」ことでした。 もともと文章を書くことは好きでしたし、それで食べていた時期もあったので、いっちょ本格的にやってみようか、と。 決意したのは飲んだくれて朝帰りするさなかだったと記憶しています。したがって、酔った勢いで、というのも否めません。
 ともあれ、執筆はその日からはじめました。人知れずパソコンに向かい、作品を仕上げては賞に応募する。 創作がライフワークとなるのに、そう時間はかかりませんでした。そして「三年挑戦してダメだったら諦める」という当初の誓いも忘れてズルズルと……。
 そんなしぶとさが奏功したのか、今回ようやく受賞にいたりました。ですが本当のチャレンジはこれから。 いただいたチャンスを活かし、さらなる高みを目指すためにも、気概をもって書き続けていきたいですね。

選考委員【選評】(50音順)

綾辻行人

 前川裕『CREEPY』に最もミステリーとしての魅力を感じた。
 序盤はまず、現代の都市生活における「実像の見えない隣人」の不気味さ・怖さがうまく描かれている。 離れた「点」として存在していた複数の出来事が寄り集まり、繋がってひとつの事件が見えてくる過程も面白い。 主人公の造形等にちょっと首を傾げつつも、展開を予測できない気味の悪い物語にずるずると引き込まれていた。 前半では小説として少々ぎこちなく思えた文章も後半に入ると安定してきて、ことに「十年後」のクライマックスでは、 それが大変に美しく静謐なシーンを描き出すに至る。 謎解き小説としての結構も候補作中いちばんしっかりしていて、意表を衝かれる部分も多々あった。 いくつかの問題点に改良の手を加えたうえで、ぜひ世に問うてほしい作品である。
 川中大樹『サンパギータ』。達者な文章で愉しくテンポよく読ませる。 のだが、探偵役を務める主人公のヤクザとその仲間たちがあまりにも「善き市民」でありすぎて、どうしても「これでいいのか?」と疑問を感じてしまった。 ところが、選考会で今野敏さんが「この小説はファンタジーとして読むべし」と熱っぽく主張されるのを聞いて、だったらこれもありか、と思った次第。 ミステリー的な強度に物足りなさはあるものの、書ける人であることは間違いない。
 戸南浩平『BALANCE』と市川智洋『伏流水』については残念ながら、積極的に推せる美点を見出せなかった。 前者はこういったクライムサスペンスを三人称多視点で描く場合に陥りがちな「つまらなさ」に対して無自覚なのが、最大の難点。 後者はひと昔前の社会派推理のようなテイストの作品だが、民生委員の主人公が追いかける事件の真相に目新しさがなく、面白味に欠ける。
 真摯な議論の末、『CREEPY』と『サンパギータ』二作への授賞が決まったが、これは妥当な結果であると思う。

近藤史恵

 まず六〇〇枚も必要ないアイデアなのに、規定枚数ぎりぎりまで書いてしまっているせいで完成度を下げているものが非常に多い。 書かなくてはならないことと、必要ないことを見極めることが構成の第一歩だと思う。
『BALANCE』の作者はこの賞の常連だが、この小説には読者を牽引するものがなにもない。 多視点のせいで引きつける謎もなく、描かれている狂気も嘘っぽいのに、内容の不快さだけが強い。 もっと軽やかな小説の方が、この作者には向いているのではないか。
『伏流水』はまさに三五〇枚くらいで書くべき小説だった。戸田のパートはまったく必要ない。 民生委員という主人公から見た世界は丁寧に書けているし、文章も前回と比べて格段にいい。 ただ、あまりに小さくまとめすぎている。もう一歩、読者を遠いところに連れて行ってくれる翼が欲しかった。
『サンパギータ』はわたしには魅力を感じられない小説だった。ヤクザなのにアウトローらしさのない主人公。 女性キャラは男に都合のいい人形でしかない。だが、たしかに六〇〇枚をひとつの視点で書ききる筆力はあるし、ぐいぐい読ませる力はある。 「これは男性向けファンタジーである」という理解をするならば、受賞作にすることに強固に反対するつもりはない。 だが、できればせめてハードボイルド的な世界を描くときに、ある種の含羞というものを忘れてほしくはないと思う。
『CREEPY』はタイトル通り薄気味の悪い小説である。文章も正直、上手いというわけではない。 ただ、提示された謎のおもしろさや、主人公が遭遇する出来事の怖さが、うまく噛み合い、読んでいていちばん楽しめた。 読者の予想を、少しずつ裏切っていく展開もよく、思いもかけない決着には驚かされた。 ミスタイプが多いことや、不必要な性描写など欠点はあるが、候補作の中ではいちばん魅力を感じた。
 結果、この二作の同時受賞ということで、同意した。

今野 敏

 応募作四編を読んで、まず感じたことは、書きすぎの傾向があるということだ。 プロの作家は、書くことよりも、書かないことの大切さを学ばなければならない。 それがわからないということは、すなわち才能がないということだ。冷酷な言い方だと思われるかもしれないが、それがプロというものだ。
 受賞作『サンパギータ』は、文章が読みやすく、登場人物同士の関係性をうまく書けている。 暴力団員が主人公ということで、どうかと思ったが、リーダビリティーもあり、受賞作に推そうと決めた。 今後は、こじんまりと話をまとめるのではなく、揺れ幅の大きな作品を目指してほしい。
 もう一つの受賞作である『CREEPY』は、実は、私の評価は低かった。 長い長い序章の後に、十年後、ようやく物語が始まったと感じて、小説としての体を成していないと思っていた。 だが、他の選考委員の意見を聞いているうちに、これは私が、本格推理小説や新本格推理小説に馴染みがないせいだということがわかってきた。
 綾辻行人さんが特に、この作品を推しており、それならば、と納得した次第だ。
 八年前に起きた事件と同じ構造の事件が、自宅を含めた近所に存在している、というアイディアそのものは秀逸だと感じた。
『BALANCE』は、全体に過剰な描写が気になった。人質の小指切断は、あまりに悪趣味。誘拐事件の切迫した雰囲気がまったく伝わってこない。 視点の乱れもある。この内容なら、視点をもっと整理して四百枚くらいでもよかったように思う。
『伏流水』は、文章そのものは読みやすかった。ただ人物造詣に特徴がなく平坦なために、物語が活き活きと動いてこない。 麻薬の売人や「男」の視点はまったく不要。売人の戸田の視点があるため、謎にするべき事柄が謎でなくなっている。 また、内容が乏しいのにそれをことさらに隠そうとするから、物語がなかなか進行しないような印象がある。

藤田宜永

 これまでもいくつかの選考委員をやってきたし、今もやっているが、今回ほど票が錯綜して割れた選考会はなかった。 選考委員の小説観の違いが如実に表れ、或る意味で面白い会になった。 戸南さんの『BALANCE』の設定には無理はあるが、着想を上手に展開させれば説得力のある作品に仕上がっただろう。 誘拐された女子高校生が解放された後の言動はあまりにも明るすぎる。こういうスーパー少女はアニメやライトノベルではあり得るのかもしれないが。 市川さんの『伏流水』は主人公が女性の民生委員だから地味なお話だが、丁寧に書き込まれていて好感を持った。 男性が女性の視点で書くのはとても難しいのだが違和感は感じなかった。 しかし、ミステリーという観点から見ると、アルバム等々の手がかりの提出の仕方が性急すぎるし、ミスディレクションのやり方にも不満が残った。 “男は……”という多視点の使い方は安直すぎる。 せっかく女性の民生委員を主人公にしたのだから、彼女の周りに犯人らしき人間を配置し、真犯人ももっと登場させ、 読者を迷わせるオーソドックスなサスペンスに仕上げる方がよかった気がする。 しかし、市川さんには潜在能力があるように思える。今後の作品に期待したい。 受賞作のうち、前川さんの『CREEPY』は、アイデアを強く推す選考委員がいた。 確かにその通りだが、構成にもっと工夫が欲しいと思った。特に前半は説明的すぎる気がする。 教え子の女子大生とのセックスシーンは不用だから、本になる前に削るべき。これは選考委員全員の意見である。 もうひとつの受賞作、川中さんの『サンパギータ』は、ヤクザの親分が主人公だが、市民社会風ヤクザというか、すこぶる健全な御仁で、いささか非現実。 もっとユーモラスに作るか、主人公を組長ではなく、闇の世界の周辺にいる人間にしても成立したのではないか。 友人の死を巡る謎から、大きな謎が解き明かされていくのだが、その間の折り込み方に不満を感じたが、愉しく読めた作品である。 川中さんは文章のセンスがありそうなので、この賞をきっかけにしてどんどん書いてもらいたい。
 最後に一言、規定枚数ぎりぎりまで書く必要はない。そのせいで息切れするぐらいならその半分でもかまわない。自分の作品の寸法を測ることも作家には必要である。

候補作

 予選委員は、円堂都司昭・香山二三郎・新保博久・千街晶之・細谷正充・山前譲・吉田伸子の7氏。候補作は下記4作品です(タイトル50音順)。

「CREEPY」
前川 裕
「サンパギータ」
川中大樹
「BALANCE」
戸南浩平
「伏流水」
市川智洋

 なお、予選会に先立ち、応募総数157編のなかから、1次予選を通過した20作品は下記の通りです(応募到着順)。

「ジャガーノート神の乗っ取り」
向町六市郎
「海からの叫び」
野乃はるか
「過去からの送り火」
関根浩平
「飴細工のユディト」
岩佐有純
「BALANCE」
戸南浩平
「ダイスを高く放れ」
大野 晋
「無邪気な阿修羅」
三澤陽一
「~『マリアさまの通信簿』から~最後の大罪」
山ノ内詩音
「土曜日はチボリ」
工藤珠美
「CREEPY」
前川 裕
「詭 道」
土方日光
「オフサイド」
桐島 裕
「伏流水」
市川智洋
「ファガスの誓約」
真霧 翔
「モンロースマイル」
金沢整二
「サンパギータ」
川中大樹
「ボディ・ダブル」
山田武博
「蝶の方舟」
横邊愛恵
「影法師」
瀬戸 格
「アングリマーラの息子」
清水隆司

【予選委員からの候補作選考コメント】

円堂都司昭

 『BALANCE』、『伏流水』は前回も最終候補に残った人たちの作品であり、選評で指摘された点を踏まえ路線を修正してきた。 予選を勝ち抜いて当然の筆力だろう。やはり応募経験者による『サンパギータ』、『CREEPY』も粗さはあるにせよ、読ませる勢いがあった。
 それ以外で魅力を感じたのは『モンロースマイル』。一家消失に関し、周囲が不審に思ってもあまり騒がない点に現代的リアリティがあった。 だが、用意された真相がいかにも机上の空論だったのは残念。設定や謎は面白いのに、結末のつけかたが強引か早足という例は多い。物語後半の構成に力を入れてほしい。
 また、過去の投稿作を様々な賞に応募し直す人が目立つ。本人は大幅に修正したつもりかもしれないが、他人が読めば特に良くなっていないものが大半だ。 今年起きた大震災への言及を数行加えたからといって、過去の原稿が大化けするなんてことはない。新人賞に対しては、怠けず新作を応募してほしい。

香山二三郎

 残った四篇は最終候補経験者ばかり。新鮮さには欠けるものの、他の作品と比べると語りも構成もやはり頭ひとつ抜けているんだから仕様がない。 ただし残った四篇も“なりすまし”テーマのクライムサスペンスだったり、ノワールタッチの復讐活劇だったり、ちょっと似ているところがあったりする。 次回応募する人は、基本作法をきっちり押さえたうえで前代未聞のアイデアを練り込んだ野心作に挑んでほしいと思う。
 他の作品では、連城三紀彦タッチの多重誘拐サスペンス『無邪気な阿修羅』と、 表題のレストランを舞台にした“日常の謎”系の連作もの『土曜日はチボリ』が印象に残ったが、いずれも後半の構成に難があった。 それと今回は、他の新人賞に落ちたものに手を加えて再応募しましたという態の作品が目についた。 オリジナリティは審査に際して重要な基準のひとつ、既応募作品はそれだけで大きな減点となりやすいので、ご用心。

新保博久

 一次予選通過作のなかにすら小説未満と思われるものが二編もあって、全体の水準が心配されたが、最終候補作のレベルは低くないだろう。 とはいうものの、候補作四編のなかにも、個人的には容認しがたい一編があるのだが……。 簡明に表現すればいいところ、妙に難しい熟語を使いたがり、しかも板についてないのだ。 他の委員の評価は高かったので、私の偏見かもしれない。予選といえども、選考委員自身もまた応募作に審査されるというのは真理なのだ。
 最終に残らなかった作品では、金沢整二氏の「モンロースマイル」に惹かれた。ごてごてと事件を複雑にしたがる応募作が多いなか、 幽霊船メアリ・セレスト号ふうのシンプルな謎一本で押し通すのが潔い。 ただ、その謎解きが万全とはいえず、他の新人賞の予選で同作を何度も読まされて新鮮味を感じなくなっていたらしい委員を説得できなかった。

千街晶之

 最終選考に残った四篇すべてが、以前もこの賞に応募した方の作品という結果になった。 市川智洋氏の『伏流水』は一番古株の常連らしい手慣れた作品だが、もっと無駄な描写を削れるはず。 『BALANCE』の戸南浩平氏は昨年の応募作に較べると、この人ならではの個性が乏しい気がして採点を低めにしたけれども、 私以外の予選委員の評価が軒並み高かったことを思えば、これくらいアクの強さを抑制したほうがこの人の場合はいいのかも知れない。 前川裕氏の『CREEPY』は、今までの応募作の中では最も上出来だが、主人公こそ違えど過去の応募作と似通った印象の作品なので、 「異なったタイプの小説を書けるのだろうか」という危惧もないではない。 川中大樹氏の『サンパギータ』は、新味はないがリーダビリティの高さは抜群。惜しくも最終に残れなかった作品では、土方日光氏『詭道』の凝った試みを評価したい。

細谷正充

 今回もっとも気になったのは、既応募作品の多さだった。他の新人賞で落選した作品が、こちらに送られてきているのである。 二重投稿ではないので問題はないが、あまりの数の多さに、いささかげんなりした。 まあ、自分の書き上げた作品に愛着があるのは当然だし、何らかの事情があって落ちたと思いたくなる気持ちは分からないではない。 事実、ひとりの下読みに良作が集中し、いつもなら一次を通過するレベルの作品を、泣く泣く落とすということも、ないわけではないのだ。 だから、落選した作品を別の新人賞に送ることを、一概に否定しようとは思わない。
 でも、できれば新作を応募してほしいものだ。長い目で見れば、それは応募者自身のためになる。だって作家になったら、常に新しい作品を書き続けなければならないのだから。

山前 譲

 ストーリーやアイデアでの新人らしい清新さと同時に、既刊作品と同等の文章力を求められるのが新人賞である。 そのハードルはかなり高いはず……なのだが、小説をまったく読んだことがないような、粗雑な作品が回ってくると、残念だなあと思うしかない。
 ましてや、以前、他の新人賞の予選で読んだ作品に出会うと、がっかりしてしまう。新しい作品でチャレンジしてもらいたいと、嘆息するしかないのである。  これは個人的な見解だが、過去を舞台とするには、相当な必然性が必要ではないだろうか。 必然性もなく十年ぐらい前を舞台にしてあると、「いったい、いつ書いた作品?」と、大いなる疑問を抱いてしまうのだ。
 とはいえ、小説としてはメチャクチャだと思いながらも、愛着を覚えてしまう作品がないわけではない。 今回は『詭道』にちょっと未練があった。およそ現実的ではない舞台設定で、高得点はつけられないが、探偵役を含めたいくつかのキャラクターは魅力的だった。 来年も応募してね、もちろん「新作」で。

吉田伸子

 まず最初に、応募してくださったみなさま、お疲れさまでした。今回、二次選考に残った作品には、他賞への既応募作が複数ありました。 思い入れのある作品なのだとは思いますが、新人賞への応募作なのですから、一度応募して駄目だったら、気持ちを切り替えて、別の新しい作品で勝負してもらえたら、と思います。
 新人賞なのだから、try&errorでいいんだと思います。おそれず、挫けず、新しい作品に挑戦していってください。

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