- 受賞作:
- 『白き山』『つきかげ』
- 受賞者:
- 古川 健(ふるかわ たけし)
- 受賞者略歴:
-
1978年、東京都生まれ。2002年、劇団チョコレートケーキに入団。'09年『a day』より劇作も手がける。'10年、『サウイフモノニ…』から日澤雄介が演出を担当し、現在の制作スタイルを確立。あさま山荘事件の内側に独自の物語で切り込んだ『起て、飢えたる者よ』以降、大逆事件やナチスなど社会的な事象をモチーフにした作品を作り続けている。'14年『治天ノ君』で第21回読売演劇大賞選考委員特別賞受賞。'15年には劇団としての実績が評価され第49回紀伊國屋演劇賞団体賞を受賞。そして、'23年『生き残った子孫たちへ 戦争六篇』で第30回読売演劇大賞最優秀作品賞・大賞受賞。
また、『Sing a Song』『斜交~昭和40年のクロスロード~』『アルキメデスの大戦』『同盟通信』など他団体やプロデュース公演などへも多数書き下ろしている。
受賞の言葉
鶴屋南北戯曲賞
古川 健
第28回鶴屋南北戯曲賞を受賞させていただき、まことにありがとうございます。初めてノミネートしていただいたのが第19回ですので、10年を経て、6度目のノミネートでやっとやっと素晴らしい賞をいただけたことを心から嬉しく思います。
『白き山』と『つきかげ』は実在の歌人斎藤茂吉氏の晩年に材を取り、創作した物語です。斎藤氏と彼を取り巻くご家族の記録が、想像力の大きな糧になりました。改めて斎藤茂吉氏とご家族に深い感謝の意を表します。本当にありがとうございました。
当たり前のことながら戯曲は一人では作り出せません。戯曲を演劇に立ち上げてくれる全てのキャスト・スタッフを信じられなければ、一文字だって書けるものではないのです。ですから、この度の受賞も、いつも創作を共にしてくれている、仲間全員での受賞であると考えています。そして素晴らしい仲間達と、今後も創作を共にできることを願ってやみません。
選考委員【選評】(社名50音順)
山口宏子(朝日新聞社)
受賞作は歌人・斎藤茂吉と家族らの戦後を描いた連作『白き山』『つきかげ』。近現代史と実直に向き合い続ける作者の古川健さんは、6回目のノミネートでした。度々候補になったということは、長い間、安定して活躍してきた証左。一つの勲章だと思います。
土田英生さんの『御菓子司 亀屋権太楼』に強い力を感じました。和菓子屋の経営者一族と従業員ら、市井の、おおむね善良な人々の約10年の歳月から、不寛容がはびこり、それがエスカレートしてゆく社会が浮かび上がる。人間と、その集団に対する深い洞察を、気取りのない穏やかな手つきで提示し続ける土田さんの非凡さを改めて感じました。
三浦大輔さんの『ハザカイキ』は、誰かを貶め、責め立てることを娯楽として消費する人間と社会のグロテスクな戯画。終幕、「墜ちたアイドル」が記者会見に臨み、台本12ページにわたって空虚な「謝罪」を続ける一人語りは圧巻でした。それとは対照的な視線で現代を見つめたのが永山智行さんの『石を洗う』。過疎地と東京を往還しながら、人間と自然、生者と死者がともにある世界を詩的につづり、光を放つ。中村ノブアキさんは『地の面』で、詐欺事件を手際よく娯楽劇に仕立てました。
飯塚友子(産経新聞社)
私は当初、古川健さんの『失敗の研究―ノモンハン1939』を最も推薦しました。兵士を人とも思わぬ大本営の傲慢と無能を、1970年の女性編集者が取材する形で浮かび上がらせつつ、軍部を批判する〝先進的〟男性編集者の男尊女卑とも重ねる構造が巧みで、現代まで続く問題提起になっていました。
もちろん受賞作も推薦し、候補作が古川さんの作品ばかりになるため、取り下げました。受賞作は、二部作で斎藤茂吉という芸術家を血の通った人間に造形し、『白き山』で戦争と向き合う苦悩、『つきかげ』で老いの悲しさを伝えました。
最近の古川さんは、豊富な歴史知識にとらわれ過ぎず、年表を忘れ、登場人物を生き生きと描いています。受賞作も、ホームドラマのようなユーモアとペーソスが漂うのがよく、息子の北杜夫編も期待したいです。
中村ノブアキさんの『地の面』も、日本の組織に巣くう問題を、リアルかつコミカルに表現した良作だと思いました。
中村正子(時事通信社)
古川健さんは歴史を題材にした作品に定評があるが、中でも高度成長期の日本人の姿を描いた『60’sエレジー』(2017年)と、日米開戦の前に日本の敗戦を予測した総力戦研究所を取り上げた『帰還不能点』(2021年)が印象深い。どちらも日本の来し方を丁寧に描きだし、最終候補に残ったものの、他の作品とのめぐり合わせで惜しくも受賞には至らなかった。
『白き山』と『つきかげ』は近代短歌を牽引した斎藤茂吉の晩年を描いた連作。『白き山』では国策に加担したことへの自責の念と創作の衰えをめぐる茂吉自身の葛藤を掘り下げ、『つきかげ』では家族の姿を通して茂吉の最晩年を浮かび上がらせた。歴史の流れの中での人間の姿を描いてきた古川さんが、芸術家の老いというテーマに自身の実感も重ねて向き合い、普遍的な広がりのある評伝劇を紡ぎだした。
候補作には入らなかったが、古川さんが青年劇場に書き下ろした『失敗の研究―ノモンハン1939』も力作だった。多くの犠牲者を出した日ソ間の軍事衝突の実相を、出版社の女性編集者が取材を通して明らかにしていくが、その過程で彼女自身が同じような組織の論理に直面する。史実を追いながら今に通じる物語を浮かび上がらせる構成が秀逸だった。
内田洋一(日本経済新聞社)
埋 み火のような戦争の傷
古川健さんは戦争と人間をめぐる実録的ドラマの書き手として、すでに定評がある。6度目のノミネートでの受賞、これには実績が反映していよう。
受賞作は斎藤茂吉の敗戦後と晩年をたどる連作で、それぞれ歌集の名を題に引く。戦争を礼賛した茂吉は高村光太郎と比べ責任意識が薄かったといわれるが、古川さんはその点をついた。山形金瓶時代に光をあてた『白き山』で魅力的な農婦を創造し、茂吉の心の波立ちを見すえる。愛嬌のある土地の言葉でお山に問いかける戦争の悲しみ。そんな農婦の野太い言葉があの「最上川逆白波の……」をはじめとする山河への魂の回帰をうながす。それは常民のいたみを映す茂吉の静かな敗戦だ。『つきかげ』はマイウェイの妻、強大な父と向き合う娘たちをいわば鏡にして、最晩年の輪郭をなぞる。戦争の傷が埋み火のように消えない「敗戦後の時間」をとらえる連作は古川さんの新生面だ。まだまだ書かれるべき余白がこの作家の前には広がっているだろう。
内野小百美(報知新聞社)
ようやく古川健氏に贈ることができ、不遜な言い方だが、ホッとしている。最多6度のノミネート。御本人の心中はいかばかりか。この賞に恨みを持っていなかっただろうか。
古川脚本では『治天ノ君』(2013年)も、「吉展ちゃん誘拐事件」を追う刑事を描いた『斜交 昭和40年のクロスロード』(2017年)も、731部隊を題材にした『遺産』(2018年)も、忘れることができない。佳作を連打しながら毎回のように選考会では「これがこの人のベストワンか?」と議論になる。酷なものだ。しかし、少ない登場人物で主人公を掘り下げた『白き山』『つきかげ』には古川氏の新境地をみた。
数年前に再注目された古典的名著『歴史とは何か』でE・H・カーは「歴史とは現在と過去の対話」と述べている。「対話」の延長線上に、今や未来を考えるヒントがあると信じたい。古川さんには風化しそうな歴史に新しい光を差し込ませ、思い切った解釈でドラマを紡いでいって欲しい。
今回、土田英生氏の『御菓子司 亀屋権太楼』、地面師事件を扱った中村ノブアキ氏の『地の面』も印象に残る。中村氏の犯罪を犯す側を登場させない大胆な描き方には驚かされた。
広瀬 登(毎日新聞社)
古川健さんは近現代史をひもときながら、そこで繰り広げられる人間ドラマを描くことに長けています。受賞作の『白き山』『つきかげ』では、歌人の斎藤茂吉の晩年を追いますが、特に後者での家族の描写の闊達さに目を見張りました。古川さんの新境地を示したと言えます。
永山智行さんの『石を洗う』を観劇した後の長い余韻は忘れられません。どこにでもいそうな人々の人生の断片が、謎の白い犬に導かれながらコラージュされ、不思議な光を放ちます。その光は、人間として生きるからには背負わなければいけない罪や、逃れられない孤独を照らし出します。ラヴェルの静かな旋律の流れる中、かすかな救いや解放も示唆されます。選考会で最も強く推した作品でした。
土田英生さんの『御菓子司 亀屋権太楼』にも心を動かされました。登場人物たちは居場所を探し、見つけ、去り、立ち戻る。己の存在を確認するための心棒を、それぞれが胸に抱きながら生きる姿が何とも切ない。この作品も推しました。
三浦大輔さんの『ハザカイキ』も、中村ノブアキさんの『地の面』も、複雑な「今」を捉えていました。両作家の筆の迫力に感銘を受けました。
祐成秀樹(読売新聞社)
今回は古川健さんの『白き山』『つきかげ』という歌人・斎藤茂吉の戦後を描いた連作を推しました。
『白き山』は過去作と同様に戦争が題材ですが、それ自体を描きません。茂吉や庶民の心に残したものを見つめることで戦争の惨禍を浮き彫りにしました。
『つきかげ』は最晩年の茂吉の日常を描いたホームドラマです。家業の病院を継いだ長男、文学の道に進む次男、奔放で明るい妻、生活に追われる長女、縁談が気がかりな次女、きまじめな弟子と、周囲の人の個性を見事に書き分け、茂吉との関わりを通して死と向き合う大歌人の葛藤や哀しさ、優しさ、誇り高き姿を描き出したのです。古川さんの温かなまなざし、的確な人物造形、深い人間ドラマを書く腕前を感じました。肩の力が抜けたように思えたのは、戦争を伝える重責から解放されたからでしょう。
今を描いた土田英生さんの『御菓子司 亀屋権太楼』と三浦大輔さんの『ハザカイキ』も素晴らしかったですが、古川さんの新境地を評価したいと思います。