一般財団法人光文文化財団

第26回鶴屋南北戯曲賞選評

内藤裕子
撮影/森田貢造

受賞作:
『カタブイ、1972』
受賞者:
内藤裕子(ないとう ゆうこ)
受賞者略歴:

1975年、埼玉県春日部市生まれ。演劇集団円所属。劇作家、演出家。2001年演劇集団円会員昇格。2002年「green flowers」旗揚げ。2006年より劇作を開始。丹念な取材に基づいた作品の創作、丁寧な筆致で描かれた家族劇で評価を受ける。2009年、土田英生作『初夜と蓮根』で演出デビュー。2014年、演劇集団円『初萩ノ花』(作・演出)にて読売演劇大賞優秀作品賞を受賞、第18回鶴屋南北戯曲賞ノミネート。2020年、演劇集団円『光射ス森』(作・演出)にて第65回岸田國士戯曲賞ノミネート。2022年演劇集団円『ソハ、福ノ倚ルトコロ』(作・演出)にて第57回紀伊國屋演劇賞個人賞受賞。エーシーオー沖縄・名取事務所共同制作『カタブイ、1972』にて第10回ハヤカワ「悲劇喜劇」賞受賞。

受賞の言葉

鶴屋南北戯曲賞

内藤裕子

 演出も担う私にとって戯曲は未完成の作品です。俳優や、スタッフによって命が吹き込まれ、観客に届いて初めて完成する――限られた時間と空間を共有して、お互いに影響を与えあい、時には別の作品のようにもなる不安定な形が、戯曲の面白さだと感じています。
『カタブイ、1972』は、ある意味、戯曲以外の「力」を信じなければ書くことが出来ないものでした。本土復帰を迎える沖縄を家族の生活を通して描く。どこまでリアルに、人物と物語を立ち上げられるか。語りすぎれば真実味を欠きますが、取材を通して知った沖縄の人々がもつ苦しみと、悲しみを伝えるには俳優に語ってもらわなければならない言葉があまりにも多くあったのです。その言葉を、観客に届けてくださった俳優、スタッフ、受け取ってくださったお客様、私を信じてこの作品を書かせてくださった、企画者のお二人に感謝します。
 新たな挑戦となった作品で鶴屋南北戯曲賞をいただけたことは、これからの劇作に大きな励ましとなりました。演劇にしか出来ないこと、演劇のもつ力を信じて、これからも書き続けていきます。

選考委員【選評】(社名50音順)

山口宏子(朝日新聞)

「沖縄」を書いた秀作

 本土復帰五十年を迎えた沖縄を見つめた力作がそろった。宜野湾市在住の兼島拓也さんの『ライカムで待っとく』は、1964年と現代が交錯する物語を通して、「沖縄は日本のバックヤードか」と鋭く問い、畑澤聖悟さんの『hana -1970、コザが燃えた日-』は、ある「家族」の戦後と米軍統治下の不条理を一夜の出来事に凝縮した。
 受賞作、内藤裕子さんの『カタブイ、1972』は、沖縄本島中部のサトウキビ農家の居間に視点を据え、復帰までの半年を見つめた。米軍機が我が物顔で飛ぶ空の下で、収穫に汗を流す人々の日常が、たんたんと、丁寧につづられる。そこから、苛烈な地上戦と過酷な戦後を生き延びた人たちの胸の中にある深い感情の淵と、米軍基地とどう向き合うかといった今に直結する問題が、静かに、確かに、伝わってきた。東京の作家が沖縄を書いてよいのか――自問と自省を重ねながらの取材・執筆だったことがしのばれる。その誠実さと、人が生きる姿の中に歴史や社会を見いだす細やかな視線が生み出した秀作だった。

飯塚友子(産経新聞社)

 沖縄本土復帰50周年の節目である2022年、戦後生まれの劇作家による沖縄関連の良作が複数、出たのが今回の特徴でした。その中で私は、内藤裕子さんの『カタブイ、1972』を強く、推しました。家庭劇を得意とする内藤さんらしく、沖縄の普通の家の居間での会話から、今につながる諸問題が浮き彫りになる展開が見事でした。膨大な資料を読み込み、サトウキビ農家で汗を流した上で、すべてを一回忘れ、自身の文法で沖縄を、見事に表現された。基地に経済的に支えられる沖縄の人の葛藤など、心の機微に触れる会話の積み重ねに、泣かされました。
 内藤さんは過去にも南北賞にノミネートされ、今回も2作が候補作に入り、安定した手腕も評価すべきと思います。今後も沖縄に関する創作を続けるそうで、その期待もあります。
 私は、加藤拓也さんの『もはやしずか』も推しました。出生前診断による命の選別というデリケートな問題に、真正面から取り組み、好感を持ちました。

中村正子(時事通信社)

 昨年は日本復帰50年を迎えた沖縄の問題をさまざまな角度から取り上げた作品が目立った。最終候補になった6作品のうち3本が沖縄物で、いずれも作り手の真摯な姿勢を感じさせる好舞台だった。青森を拠点に演劇活動を行っている畑澤聖悟さんの『hana -1970、コザが燃えた日-』は、返還の2年前に沖縄で起きた米軍の車両などへの焼き討ち事件(コザ騒動)に、戦後、沖縄の人々が強いられてきた苦しみを重ね合わせて描いた家族劇。沖縄出身の若手劇作家、兼島拓也さんの『ライカムで待っとく』は、沖縄が抱えている矛盾をわが事のように考えさせる地元ならではの視点が冴え、「沖縄は日本のバックヤード」というキーワードが効いていた。
 受賞作の『カタブイ、1972』は、暮らしに根ざした視点から社会のありようを描いてきた内藤裕子さんが、本土復帰を間近に控えた沖縄の人々の思いに迫った。サトウキビ栽培を生業とする一家を丁寧に描きながら、沖縄と本土との関係性、沖縄の女性が置かれている状況をリアルにあぶりだしていく。問題を声高に訴えるのではなく、淡々としたセリフに力があり、沖縄の今を考えさせられた。

内田洋一(日本経済新聞)

結いまーるのいたみ

 内藤裕子さんは第一次産業の手仕事とそこに宿る人間の体温を書き継いできた作家だ。林業や藍染めといった世の関心を集めにくい世界ばかりを描いている。話題性を競う演劇界ではいささか地味な書きぶりだが、せりふのひとつひとつに確かな芯があって揺るがない。くりかえし候補に挙がりながら受賞を逃してきた内藤さんが、沖縄という題材を得てアクチュアルな飛躍を遂げた。サトウキビの農作業を劇の骨組みとしつつ、本土復帰に寄せる複雑な思いを市井のまなざしから見すえる。沖縄の言葉でいう結いまーる、労働の交換という慣習のありようのなかに、たえがたきをたえて生き抜いてきた沖縄の心のしなやかさと強靱さが映りでてくる。題名にある南島の局所的な雨は、見えていても雨脚の激しさはわからない。どしゃ降りの忍従を見て見ぬふりをしてきた日本人の戦後とは何だったのか。声高な主張はないけれど、そんな痛覚を観客に呼びさます作品だ。証言の森に分け入った作者が演出し、沖縄と東京の役者が芸能の力で交感しあった舞台も忘れがたい。この作から始まる三部作は現代演劇の記念碑的連作となるだろう。

内野小百美(報知新聞)

 平田オリザ氏が『日本文学盛衰史』で受賞した第22回(2018年度)の候補作で自分が推したのが内藤裕子氏の『藍ノ色、沁ミル指ニ』でした。この芝居では感動のあまり、作品にちなんで藍染めの小さな鞄を衝動買いしてしまったほどでした。内藤氏はこのところ、候補に挙がる常連。いつ受賞しても不思議でない安定した完成度の高さも評価に加味されたでしょう。今回、もうひとつの候補作『ソハ、福ノ倚ルトコロ』を推す声もありましたが、私は内藤氏らしさが色濃く表れていた『カタブイ、1972』を選びました。
 選考会でも触れましたが、内藤脚本によるカタルシス効果が好きです。予想もしない展開をみせ、何とも言えない余韻を残す。どこにでもあるような、ひとつの部屋で物語が進行することが多いですが、生きていることが愛おしい、と思わせてくれます。
 2022年は内藤氏を始め、沖縄の本土復帰五十周年に関連する戯曲での力作が目立ちました。もうひとつ推したのが兼島拓也氏の『ライカムで待っとく』でした。正直なところ、両作とも受賞して欲しいくらいでした。兼島氏の作品は今後も注視していきたいと思います。

小玉祥子(毎日新聞社)

 返還五十年の節目の年に沖縄を舞台にした秀作が多く生まれた。二次選考に進んだのは畑澤聖悟作『hana -1970、コザが燃えた日-』、兼島拓也作『ライカムで待っとく』、受賞作の内藤裕子作『カタブイ、1972』である。
『カタブイ』はタクシー運転手の男性が営むサトウキビ農家を舞台に返還前後の人々の姿が描かれる。日本における沖縄、沖縄における登場人物それぞれの立場が重層的に示され、こなれたせりふが当時の状況を浮かび上がらせる。内藤のもうひとつの候補作である「南総里見八犬伝」執筆時の滝沢馬琴家の諸相を描いた『ソハ、福ノ倚ルトコロ』も優れた作品であった。
 受賞を最後まで争った『ライカム』は現代と過去が交錯する構成が利いていた。脱走米兵が軸となる『hana』、出生前診断をめぐる夫婦の揺らぎを描いた加藤拓也作『もはやしずか』、8050問題に切り込んだ横山拓也作『猫、獅子になる』。いずれも魅力的な作品であった。

祐成秀樹(読売新聞社)

 今回は悩みました。全般的に粒ぞろいだったのです。ただ、年末に『カタブイ、1972』を見て、「これならば」と納得しました。昨年は沖縄の本土復帰50年の節目でしたから題材がタイムリーです。そして、復帰の頃のサトウキビ農家での会話から沖縄の苦しみが自然と伝わってくるのだから「家族劇の名手」である内藤裕子さんの真骨頂だと思ったのです。
 対抗馬は「3人の拓也」。まずは兼島拓也さんの『ライカムで待っとく』。沖縄在住の作家が不条理なドラマを構築して沖縄と本土の溝を突きつけてきたのです。読み進むにつれて打ちのめされました。加藤拓也さんの『もはやしずか』は障害を持つ可能性のある子供を授かった夫婦らの心理の書き込み方のきめ細かさに感心しました。そして、横山拓也さんの『猫、獅子になる』。「8050問題」と宮沢賢治の「猫の事務所」との絡め方のうまさに一つの到達点を感じました。
 その上、候補作とはなりませんでしたが、ピンク地底人3号さんの『燐光のイルカたち』もあった。分断が進む世界を見通す視線の鋭さが心に刺さる力作でした。才能の台頭を感じた2022年。来年の選考会が楽しみです。

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